あれから10年 | あさかぜ1号 博多行

あれから10年

人生をかえた転機は

 

 

 

 

 

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私にとって人生最大の転機といえば、何といっても視覚障害者になったこと。
それは、ちょうど10年前の今日のことでした。
あの日、いつものように目覚まし時計の音で目覚め、目を開けては見たものの何も見えません。
カーテンを閉めていたのでまだ暗いからだろうとカーテンを開けてみても結果は同じ。
窓越しに見えるはずの道路を挟んだ向かいの家も見えません。
さて、これは困った。
とりあえず普段歩いているときの感覚を頼りに2階の自室から1階のリビングへ移動し、家族に目が見えていないことを報告。
この日はとりあえず体調不良を理由に会社を休み、これまでも定期的に通院していた某大学病院の眼科へ。
そこで下された診断は、おそらくもう今後視力が戻ることはないだろうというかなりショックなものでした。
それまでの私は、もともと生まれつき視力は低かったものの基本的には日常生活にはほとんど不自由を感じないレベルの見え方で、30歳代になって間もなく白内障の手術をした直後にはむしろ視力が多少向上したくらいでした。
そういうこともあって、ほとんどいきなりという感じで視覚障害者となったことでかなり気が動転したというか、今後自分はどうやって生きていけばいいのかという難題を突き付けられた気分でした。
結局目が見えなくなってしまっては自力で都内のオフィスまで通勤することもままならず、極めて不本意ながらも11年あまり勤務した当時の勤務先を退職せざるを得なくなるなど、さっそく日々の生活にも大きな影響が出ることになりましたし、ほぼ休日のたびにどこかへ撮り鉄や乗り鉄に出かけることも、ブログの記事を書いて更新したり他のブロガーさんの記事を見に行くということもできなくなり、まさに人生最大のピンチという状況でした。
ただ当時の私はまだ42歳。目が見えなくなったからといって何もせず家に引き籠ってばかりもいられず、今後どのように自分の生活を立て直していくかという課題に直面しました。
そこで家族と一緒に住んでいる市の福祉課に相談するなどしていろいろ調べた結果、以前も記事にしたように埼玉県所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンターで白杖を使った歩行訓練や音声パソコンの使い方などの訓練を受け、さらに同じ敷地の障害者の就労訓練施設での音声パソコンの訓練を経て、縁あって今の勤め先に就職することができました。
また、視覚障害者の団体やサークル、メーリングリストにもいくつか仲間入りさせてもらったり、それ以外でもいろいろな場面で新たな人との出会いや人の優しさや温かさにも恵まれることになりました。
こうして私は、目が見えなくなってから10年の間に、もしそのまま目が見えていたら遭遇することのなかったであろう様々な経験をしてきました。それらの中には辛かったり悔しかったりすることも少なくはなかったけれど、逆に考えれば見えなくなったからこそできた経験や知ることのできた新技術や便利なグッズなどもあったりするわけで、ポジティブに考えれば見えなくなったことで新たな世界が開けたということもできるかもしれません。
そして目が見えなくなったからこそつながることのできた人との出会いもたくさんあり、そう考えると視覚障害者になったことは決してマイナスな人生の転換点だけというわけではなく、42歳にして新たな人生の扉を開くきっかけにもなったのかもしれません。