父の日ですね | あさかぜ1号 博多行

父の日ですね

あなたのお父さんはどんな人?

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あなたもスタンプをGETしよう私の父親は、よくも悪くも「昭和の父親」という感じでしたね。
基本的には仕事人間で、どちらかといえば家族サービスを積極的にする方ではなかった印象があります。
でも、勤めていたのが某大手旅行会社の海外旅行部門だったので私が中高生の頃ぐらいまでは年数回の海外出張があり、そのたびにお土産として海外製のビーフジャーキーやらマカデミアナッツ入りりのチョコレート、クッキーなどを買ってきてくれるのはうれしかった思い出があります。
仕事人間だったとはいっても、実は二日酔いで昼過ぎに重役出勤するようなことも珍しくありませんでした。それでも仕事自体はかなり真面目にやっていたようで、最終的には部長職を結構長く勤めあげたようです。
仕事が終わるとほぼ毎夜飲み歩いていたようで、「午前様」になったり会社やその周辺で泊まるなんて言うことも珍しくなかった記憶があります。なので、逆に定時退社して飲みにも行かずに早く帰ってきた時などは家族みんなちょっとびっくりした思い出があります。
こんな生活が続いたからなのか、カードでの借金が結構な額になっていて、その返済にかなり苦労したと父の死後母親が話していました。
休日の父親は、昼まで寝ていてその後は趣味の飛行機(主に戦闘機)のプラモを組み立てているか、何をするでもなくぼけ~っとテレビを見ているかといった印象があります。
ただ、年に一度航空自衛隊入間基地で航空祭がある日は、やはり飛行機好き、戦闘機好きとして血が騒ぐのか、朝から一般公開されている基地へ見物に行ったり、ブルーインパルスのデモンストレーション飛行を家の近くの広場に見に行ったりしていたのが今も思い出されます。
そんな父親も晩年は認知症が進み、家族、特に母親にはかなりの苦労を掛けたようです。
最後の数年間は施設で過ごし、5年前に亡くなりました。ただ、亡くなったのがぎりぎりコロナ禍前で、普通に家族葬で見送ることができたのは不幸中の幸いでした。
私自身、高校生や大学生の頃からだんだんと父親との間に心の距離を感じるようになりました。喧嘩したり口論したりといったことはほとんどなかったけれど、同居していても何となくお互いに距離をおいて接するようになっていました。
父親が認知症になってからは私もその症状に悩まされることが何度か会ったなど、父親との間の思い出にはネガティブなものも少なくはないけれど、今から思うと一度ぐらい一緒に酒を飲んだり旅行に出かけたりしてもよかったかなと少し後悔する気持ちもあります。