【鉄道イベントの思い出】武蔵の操車場機関車撮影会(1986年) | あさかぜ1号 博多行

【鉄道イベントの思い出】武蔵の操車場機関車撮影会(1986年)

私がかつて訪れた鉄道イベントの思い出を振り返るシリーズ、今回は1986年に開催された、今はなき武蔵野操車場での機関車撮影会の思い出です。

現在はららぽーとやコストコ、IKEYA等の商業施設などが立ち並ぶなど、大規模な再開発が行われたJR武蔵野線新三郷駅から吉川美南駅にかけてですが、それらの建物があるあたりにはかつて、1974年に開設された日本最大規模ともいわれた貨物列車の操車場である武蔵野操車場がありました。
武蔵野操車場はコンピュータ制御による自動化をはじめとする当時最新のシステムがふんだんに取り入れられた操車場でした。
しかし、国鉄の経営悪化に伴う合理化の流れの中で、1984年2月1日のダイヤ改正で操車場ヤードでの貨車の仕訳・組み換えを伴う貨物輸送の方式が廃止されたことにより、開設後わずか10年の武蔵野操車場も機能を停止し、1986年11月1日に正式に廃止となりました。
その後は跡地が国鉄清算事業団に引き継がれた後、2000年代に入って再開発が行われ、現在のような状況になっています。

その、廃止直前の武蔵野操車場で1986年9月(正確な日付は覚えていませんが、当日が日曜日だったのは確かです)に構内での機関車撮影会が行われました。
当時中学3年生だった私は、前日学校で友人にこの撮影会の情報を聞き、事実上廃止されたとはいえ、めったに入ることのできない操車場の構内に入ることができるということもあり、行ってみることにしました。
会場への最寄り駅になったのが、操車場が機能を停止した後の1985年に開設された新三郷駅でした。
駅からどうやって会場入り口まで向かったかは覚えていませんが、当時は駅周辺にはほとんど建物もない広々とした空間が広がっていたのだけは覚えています。
この日展示されていた機関車のラインナップは以下の通りです。
・EF58 89号機(片側のエンドには「はくつる」のヘッドマーク付き、反対側のエンドのマークは覚えていません)
・EF65 501号機(片側のエンドに「つばめ」、もう一方のエンドには「はやぶさ」のマーク付き)
・EF64 1001号機(片側に「出羽」のマーク付き、反対側のマークは覚えていません)
・EF81 81号機(片側のエンドには前年のお召列車牽引時の装備を再現、もう一方のエンドには「エキスポライナー」のマーク付き)
・ED75形(番号は忘れてしまいましたが、0番台だったのは確か。片側のエンドに「あけぼの」のマーク付き)
・DD13形(番号は忘れてしまいました。ヘッドマークはなかったと思います)
・DE10形(番号は忘れてしまいました。ヘッドマークはなかったと思います)

展示されていた機関車のラインナップを見ると結構豪華なメンバーが揃っているし、鉄道博物館のない当時の埼玉県内では見ることのできなかったED75が展示されていたのもかなりレアな光景でした。
また当時国鉄東京北鉄道管理局館内のイベント列車や撮影会イベントには引っ張りだこだったEF58 89号機やEF81 81号機が顔を揃えているのも時代を感じます。
機関車の配置は撮影会イベントでは一般的な横並びではなく、各機が会場内に適度にばらけて停車している状態でした。
それぞれの機関車の周囲には特に規制用のロープなどもなく、どの車両にもすぐ間近まで近づくことができ、またほとんど遮る物もない旧操車場内なので撮影もかなり楽でした。
当日は小雨の降るあいにくの天気でしたが、そのせいもあるのかそれともこのイベントのことがあまり知られていなかったのか来場者はそれほど多くなく、他の撮影者の存在をあまり気にすることなくゆったりと撮影を楽しむことができました。
また近年の鉄道イベントと違いこの日は家族連れの姿もあまり見かけませんでしたが、それでもDD13やDE10のデッキには登っている子供も数人いました。でもそれに対して撮影者から罵声が飛ぶようなこともなく、実に平和な撮影会でした。
会場の一角には鉄道部品やポスターなどの物販ブースもありましたが、他の車両基地などのイベントと比べて扱っている商品はかなり少なかった記憶があります。
そんなわけで天気の方は残念だったものの、間近で電機・ディーゼル機に接することができただけでなく、すでに機能してはいなかったとはいえ普段立ち入ることのできない操車場の構内に足を踏み入れることができたのはとても貴重な体験になりました。

かつての武蔵野操車場の跡地も再開発が進み、操車場を挟んで遠く離れて配置されていた武蔵野線の新三郷駅のホームも一般的な相対式2面2線構造に変わり、今では昔ここに操車場があったことなど想像もつかないような景色に変貌しています。
現在再開発が盛んに進んでいる品川・高輪ゲートウェイ両駅界隈も、10~20年くらい経つと、かつてそこに国鉄を代表する機関区や客車区、電車区があったことなど信じられないような景観に変わっているんでしょうね。