初めての長距離鉄道旅の思い出 その4 | あさかぜ1号 博多行

初めての長距離鉄道旅の思い出 その4

1991年のGWに初めての長距離の鉄道旅として関西へ出かけた時の思い出、まだまだ続きます。

大阪環状線から関西本線(大和路線)に乗り入れる221系の「大和路快速」で奈良駅に着いたのが15時少し前。
ここからは、奈良線で京都駅へ向かいました。
乗車したのは、この年3月のダイヤ改正で奈良線に登場したばかりの快速電車。現在、JR奈良線の快速には日中を中心に「みやこ路快速」の列車名が付いていますが、当時はまだ愛称のない単なる「快速」で、車両も現在のような221系ではなく国鉄型の117系でした。
117系は、私にとって関西に行ったらぜひ乗りたい車両の一つで、ついにその長年の願いが実現したというわけです。
もっとも、それが117系が本領を発揮していた東海道・山陽線の新快速でなかったことは残念でしたが…
奈良駅のホームに入って来た117系は、製造当時からのクリーム色と茶色帯の塗装のままで、これも茶色の重厚な転換クロスシートの座席に座ると何だか気持ちが落ち着きました。
やがて117系の奈良線快速は奈良駅を発車。
快速とはいっても現在より単線区間の多い奈良線のことゆえ、新快速で京阪神間を快走するときのような走りはもちろん期待するべくもなく、スピードの点では物足りない感じもあった奈良線快速でしたが、117系の乗り心地自体は満足のいくものでした。

奈良駅から50分弱で到着した京都駅から先は、正直どこへ行くか決めてはいませんでした。
京阪神ミニ周遊券の自由周遊区間のことも考えながら、京都駅の在来線ホームをぶらぶら歩いていたら、東海道線(JR京都線)のホームに、スカイブルー塗装の103系が京都始発の西明石行普通電車として停車しているのを発見したので、時間に余裕もあるので乗ることにしました。
関西地区の東海道・山陽線(JR京都・神戸線)普通電車の103系は、京浜東北線と同じスカイブルーの塗装で、生まれて初めて接した国鉄電車の一つが京浜東北線の103系である私にとってはとても親近感の持てる車両でした。
当時東海道・山陽線の103系は運用が朝夕だけに限定されていましたが、夕方のラッシュが始まる直前(京都発16:20頃)の時間にゆっくり乗車できるのはラッキーでした。
京都駅を発車した103系の西明石行普通電車は、京浜東北線などと比べても駅間距離が長い区間が多いためか各駅停車とはいってもかなりの高速で飛ばし、先ほどの奈良線快速とは対照的な高速運転にテンションは上昇。
それはもしかすると関東の常磐線快速や武蔵野線・京葉線あたりを上回る速さなのではと感じる走りっぷりでした。

103系の高速運転を堪能しているうちに京都駅から50分ほどで大阪駅に到着。
この日は大阪駅からほど近いところにあるビジネスホテルに宿を取ってあったので、前日からほとんど眠っていないこともあり早めに宿へ入ろうかとも考えましたが、まだ陽も出ていて明るいのでもう少し乗り鉄を続けることにし、大阪環状線の外回り電車に乗り換えて天王寺駅へ向かいました。

天王寺駅で乗り換えたのは阪和線。できれば阪和線としての終点の和歌山駅まで乗りたいところでしたが、さすがにそこまで行くと戻りが遅くなるので、天王寺から途中の鳳駅まで行き、そこから分岐する東羽衣駅までの支線に乗り継ぐルートを往復することにしました。
現在では快速・普通電車が転換クロスシート車の223・225系に統一された阪和線ですが、1991年当時はまだこれらの形式や関西空港方面への列車もなく、「紀州路快速」などの愛称名もなかった阪和線の快速・普通電車は103系が主力で時折205系や113系が混じるという状況でした。
私が乗車したのは103系の和歌山行快速。
先ほど京都から大阪まで乗車したのと同じスカイブルーの塗装ですが、東海道・山陽線普通電車ほど猛スピードで飛ばす場面はなく、何となく西武池袋線や新宿線の急行を思わせる走りのように感じた記憶があります。
鳳駅に着くと、東羽衣への支線のホームへ移動。
ここで乗り換えるのも同じスカイブルーの103系(ただし編成はここまで乗ってきた快速が6両編成だったのに対し3両編成)。
東羽衣行は支線とはいっても結構な数の乗客を乗せて鳳駅を発車。
わずか3分ほどで終点の東羽衣駅に到着しました。
到着した東羽衣駅はわずか1駅だけの支線の終着駅とは思えない近代的な高架駅だったのが初めて訪れる者には意外でした。
東羽衣から折り返しの鳳行で戻り、さらに天王寺行快速と大阪環状線を乗り継いで19時過ぎに大阪駅へ戻り、関西初乗り鉄の一日目は終了となりました。

次回からは、関西初乗り鉄の思い出、2日目編です。