初めての長距離鉄道旅の思い出 その2 | あさかぜ1号 博多行

初めての長距離鉄道旅の思い出 その2

前回に引き続き、1991年のGWに初めての長距離の鉄道旅として関西へ出かけた時の思い出を振り返ります。

東京駅からの夜行普通電車(大垣夜行)で朝7時前の大垣駅に到着。
ここで、10分ほどの接続時間で接続する大垣始発の加古川行に乗り換えます。
大垣夜行の到着したホームと、加古川行が発車するホームは隣同士ながら、双方を行き来するには跨線橋を渡らなければならず、しかも編成量数は大垣夜行が11両編成なのに対し加古川行は4両(確か米原あたりから増結があったと記憶しています)と短く、加古川行の座席確保のための「大垣ダッシュ」も有名でした。
大垣夜行の乗客もそこそこ多かったので私も加古川行に座れるかどうか不安でしたが、どうにか進行方向右手のボックスシートに座ることができました。
大垣夜行やその後継列車だった「ムーンライトながら」、さらには大垣からの京阪神方面への直通列車が消えてしまった今となってはこの「大垣ダッシュ」も過去の思い出になってしまいました。
大垣から乗車した加古川行の車両は、当時まだ関西地区の東海道・山陽線快速での活躍が続いていた湘南色の113系。
車両自体は当時首都圏や静岡地区などでも普通に乗ることができた車両でしたが、車内に掲示されている路線図や停車駅案内、仲つり広告などに関西の空気を早くも感じました。
加古川行は途中京都駅までは各駅停車でその先は西明石まで快速運転となっていましたが、途中の野洲駅で同駅始発の姫路行新快速に乗り換えると、大阪駅には加古川行よりも10分少々早くつけることが分かりました。
この程度の違いなら、わざわざ乗り換えずにこのまま乗り通してもいいやとも思いましたが、やはり関西の列車に乗りに行くなら新快速に乗らない手はないということで、野洲駅に着いたところで加古川行を降り、新快速に乗り換えました。
乗り換えた新快速は、当時まだまだ新しかった221系。
幸い野洲始発の列車なのでやはり進行方向右側窓際のシートを確保できました。
乗ってみると221系の窓の大きさは想像以上で、転換クロスシートの座り心地も快適で、この当時すでにロングシート車が増えつつあった関東の近郊型電車との差を実感しました。
乗車した新快速は8:30頃に野洲駅を発車。京都駅に近づいたあたりで先ほどまで乗車していた加古川行を追い抜き、京都からはいよいよ新快速の高速ぶりを堪能できる区間に入りました。
当時の関西の新快速の運転最高速度は今よりも低い120km/hでしたが、関東では当時味わうことのできなかった高速ぶりにすっかり大興奮。
さらに京都から大阪にかけてはすれ違う列車や追い抜く列車のバラエティーも豊富で、それにもテンションが上がりっぱなしのまま、9:30頃に大阪駅に到着。
私はここで新快速を下車し、一旦改札を出てコインロッカーに荷物を預け、身軽になっていよいよ本格的に関西の鉄道の乗り鉄旅に出発します。