何書いたっけ…? | あさかぜ1号 博多行

何書いたっけ…?

本日のお題:卒業文集に書いたこと

卒業シーズンですね。
子供がおらず、今唯一接点のある子供である甥っ子もこれから小学2年生というタイミングなので、私自身「卒業」と縁がなくなって久しいですが、それでもテレビやラジオで卒業絡みの話題が出たり卒業ソングがかかったりすると「ああ、もうそんな時期なんだ」と思うと同時に学生時代のことをふと思い出したりします。
で、卒業文集。
実は、このお題を考えた時に私が卒業文集に何を書いたのか思い出そうとしたのですが…
なぜかその記憶があまりありません。
小学校卒業の時には卒業文集的なものが作られた記憶はありますが、中学・高校でも卒業文集をもらったかどうかの記憶があいまいです。
ただ、中学。高校とも卒業アルバムを制作する過程で学校生活で一番思い出に残っていることや将来の夢、同じクラスの仲間へのメッセージなどについてのアンケートを書いた記憶があり、それらは卒業アルバムに写真のページとは別に掲載されたので、おそらくはこれを卒業文集の代わりにしていたのかもしれません。
それで、小学生の時の卒業文集。
これもどんなことを書いたのかあまり覚えていませんが、たぶん修学旅行の思い出とか将来なりたい職業のことなんかを書いていたのでしょう。
いずれにしても、せっかくの卒業文集や卒業アルバムのアンケートの内容の記憶があまり残っていないのは今思うとかなり悔やまれます。

ところで、私のような昭和生まれの小・中・高校生にとっては卒業時に作られるのが当たり前というイメージがある卒業文集が近い将来消えてしまうかもしれないという記事を数日前に読んで、かなり衝撃を受けました。
卒業文集の文化が消えそうになっている背景には、卒業文集に関係する学校の先生方の負担が大きいという理由があるというのです。
例えば外国にルーツを持つなど(日本語の)文章を書くのが苦手な子への対応とか子供に恥をかかせてそれが心の傷になってしまうことへの懸念、文集に載せる文章を書きたくない子への配慮、個人情報保護の問題、そしてそういった種々の難題をクリアして卒業文集を制作してもそれが報われることがあまりないというのが理由だそうです。
そこに学校の先生の働き方改革の流れもあって卒業文集の廃止という流れが生まれたらしいです。
確かに昭和・平成の時代とは様々な社会事情や価値観が大きく変わり、学校現場はまさにその矢面に立っている面もあるので、面倒なリスクのある卒業文集の制作はやめたいというのが現場の本音なのかもしれません。
確かに卒業文集や卒業アルバムは昔の恥ずかしい記憶や思い出したくない出来事につながるので見たくない人もいるのも事実です。
ただ…、やはり卒業文集などでこれまでの学校生活の思い出に浸ったり、何年何十年経って過去の自分を懐かしく思い出したりという楽しみを感じている人も少なくないわけで(私もその一人です)、卒業文集やそれに類するものを一方的になくしてしまおうという流れには寂しさを感じます。
掲載する文章を書いたりアンケートへの回答、文集の配布を完全に希望者だけにしたりすることなど、卒業文集を取り巻く現在の問題点をよい形でクリアしつつ、学校生活の思い出に触れることができるという卒業文集の文化を守る手立ては何かしらあるとは思うんですけどね…