あれから15年…ブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出 上り富士編その1 | あさかぜ1号 博多行

あれから15年…ブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出 上り富士編その1

15年前に長年の活躍に幕を下ろした東京駅発着の九州行ブルートレイン「富士はやぶさ」に廃止の2か月前にお別れ乗車した時の思い出、今回からは関東への帰りに乗車した上り「富士」号乗車の思い出編です。

東京駅から「はやぶさ」にお別れ乗車して博多駅へ。
その後は北九州エリアでEF81・ED76牽引の貨物列車をはじめ
JR九州の特急・近郊型電車、そして朝夕の門司駅・下関駅での「富士はやぶさ」の機関車交換や分割併合作業の撮り鉄などで過ごした2日間もあっという間に過ぎ、住まいのある関東へ戻る時間が迫ってきました。
西小倉駅などでの貨物撮影を昼過ぎに終え、午後は門司港駅すぐそばの九州鉄道記念館を見学。
その後は小倉駅まで出て日豊線の特急「ソニック37号」に乗車して中津駅へ向かいました。
この旅で利用した切符は、当時発売されていた周遊きっぷ「福岡ゾーン」でした。
この周遊きっぷの周遊ゾーン(有効期間内なら乗り放題のエリア)は基本的に福岡県内のJR九州の在来線でしたが、日豊本線については県境を超えた大分県内の中津駅までが周遊ゾーンに含まれていました。
そこで、最後の乗車となる「富士」のお別れ乗車に際しては、少しでも「富士」の乗車時間を長くすべく、この特典を生かして中津駅から「富士」に乗車することにしました。
もっとも、やはり本音を言えば、始発の大分駅から全区間乗車したかったのですが…

中津駅到着後、一旦改札外へ出て改札脇のコンビニで食糧や飲み物を補給し、再びホームへ上がりました。
「富士」到着まで少し間があったので、ホームをぶらぶら歩いていると、いろいろと興味深いものが目に入ってきました。
ホームでまず目を奪われたのが、ホームに設置された超ロングサイズの木製ベンチ。
どのくらいの長さがあったのか覚えていませんが、確か駅のホームに設けられたベンチとしては日本最長というようなフレーズも、ベンチの上に掲げられた看板に記されていた記憶があります。
また当時の中津駅には、旧国鉄スタイルのままの駅名標も健在でした。
ホーム上に建てられた発射時刻表は中央の「○時」の縦軸を境に、左半分が特急列車、右半分に普通列車の発車時刻が掲載されている、関東ではまず見られないスタイルのものでした。
「特急欄」の赤文字の大群の中で異彩を放っていたのが「富士」の青い発車時刻の数字と、「博多」「小倉」がほとんどを占める中でひときわ輝く「東京」の文字でした。
さらに、「富士」中津到着直前の上り3・4番線の発車案内にも「寝台特急富士 東京」の文字が表示され、編成は短くなったとはいえまだまだ日豊線内での「富士」の存在感のほどを感じました。
今や、中津だけといわず、九州内の駅の在来線ホームの発車案内から、下関以外の本州の駅名や寝台特急を表す表示が消えてしまったわけで、時代の流れを感じます。
また、「富士」の発車する4番線の屋根からは、中津駅オリジナルの「富士」乗車口案内が下がっていました。
号車番号を変えただけで同じデザインのものが1~6号車の各車分あり、絵柄は裏表同じでした。
ホームから見上げると非常によく目立ち、何より見ていて楽しくなるデザインでした。

最初は「富士」到着までの暇つぶしのつもりの駅ウォッチングでしたが、今思い出してみるとあの頃ならではの標示類やアイテムが駅のあちこちにあったわけで、これも懐かしい思い出になっています。
次回、いよいよ「富士」に乗車します。