あれから15年…ブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出 下りはやぶさ編その6 | あさかぜ1号 博多行

あれから15年…ブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出 下りはやぶさ編その6

15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、下り「はやぶさ」編の最終回です。

「富士はやぶさ」は関門トンネルを抜けて九州に上陸し、8:51に5分遅れで門司駅に到着。
ここでは下関からのワンポイントリリーフを務めたEF81から九州内の牽引機を務めるED76への機関車交換に加え、「はやぶさ」編成と「富士」編成の分割作業も行われるので、「富士はやぶさ」到着後の門司駅4番ホームは下関駅以上に撮影や見学をしようとする人々で賑わっていました。
到着後すぐにホームに降り立つと、ホーム先端付近では早くも機関車交換作業が始まりました。
関門間1往復、構内転線を除けば実働わずか16分の朝の仕事を終えたEF81410号機が小倉方へ引き上げていくと、やがて入れ替わりに先に発車する「はやぶさ」の牽引機ED7666号機が「はやぶさ」編成に近づき連結。
ホーム先端で機関車交換が行われている頃、中ほどでは「はやぶさ」と「富士」の分割作業が行われていました。
機関車交換と両列車の分割作業をどちらも撮影したり見学したりすることは無理なので、せめて「はやぶさ」の6号車デッキから「富士」を残して門司を発車するシーンを撮ろうと目論んでいましたが、やはりこれも同じことを考える人は多く、デッキは先客多数で入り込むスキがなく断念するしかなかったのが残念でした。

長時間停車で前夜以来引きずってきた遅延を解消できるかに思われた「はやぶさ」でしたが、門司駅の発車はやはり5分遅れの9:04。
5号車の自分の寝台に戻って一息つくと、気がつけば下車する博多駅到着まであとわずか1時間ほど…
門司駅を発車した後は、進行方向右手に広がる門司機関区と北九州貨物ターミナルに自然と注目してしまいます。
門司機関区の構内に留置中の機関車の中には、ナンバープレートや製造銘板はおろかパンタグラフまでも撤去された哀れな姿のEF81未更新機も見られ、これからEF81やED76を撮影しようとやってきているミニは寂しい光景でした。
「はやぶさ」は時刻表上では小倉ー博多間ノンストップでしたが、途中の赤間駅で運転停車して「ソニック」を待避。
一瞬のうちに窓の外を走り去った「ソニック」に続いて赤間駅を発車すると、「はやぶさ」お別れ乗車も間もなくフィナーレ。
東京駅停車中に挨拶を交わし、その後も少ないながら数回言葉を交わした向かいの寝台の住人の方に別れの挨拶をし、博多到着のアナウンスが流れる中、朝から何度もたった1号車のデッキへ移動。

10:12、4分遅れで「はやぶさ」は博多駅に到着。
到着と同時にホームに出て、ここでも先頭の機関車付近や客車との連結部付近で撮影をしました。
50年近い歴史のあった九州の赤い電気機関車とブルートレイン客車とのコンビも、あと2か月で見られなくなるのだと思うと、やはり感慨もひとしおでした。
実は、博多駅でブルトレを撮影するのは今回が初めてでしたが、同時に最後の機会にもなってしまいました。
通常だと、現地土休日の場合、「はやぶさ」は博多駅で4分停車するため、到着ホームで撮影後うまくすれば反対側のホームからの撮影もできなくはなかったかもしれませんが、この日は遅れのためそれは叶いませんでした。
10:14、「はやぶさ」は終着駅熊本へ向けてのラストスパートに踏み出していきました。
この時は、当時発売されていた周遊きっぷ「福岡ゾーン」を利用しての旅だったので、
その周遊きっぷの自由周遊区間の関係とこの後の行程の都合で残念ながら博多までの乗車でしたが、できるものならこのまま熊本、いやそこまでと言わず西鹿児島(この旅の時点ですでに駅名は鹿児島中央でしたが、やはり「はやぶさ」の話をする時は敢えてこの駅名で呼びたい)まで乗って行きたかった…と本気で思いながら、去っていく「はやぶさ」の後ろ姿を見送りました。

その後日中は、西小倉・黒崎などへ移動してED76・EF81牽引の貨物列車をはじめとする様々な列車を撮影しながら過ごし、夕方には再び門司駅と下関駅での「富士はやぶさ」の撮影に向かいました。
そのあたりは「文字・下関での撮り鉄編」に続きます。