あれから15年…ブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出 下りはやぶさ編その5 | あさかぜ1号 博多行

あれから15年…ブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出 下りはやぶさ編その5

15年前のブルートレイン「富士はやぶさ」お別れ乗車の思い出、その5です。

私の乗る「富士はやぶさ」は本州西端の下関駅に近づき、東京駅からこの列車を牽引してきたEF6643号機も間もなく任務を終えようとしていました。
下関えき到着まであと10分を切ったところで、同駅での機関車交換シーンの撮影に備えて再び1号車のデッキ付近へ移動。
やはり皆考えることは同じというべきか、デッキは一刻でも早く撮影のベストポジションを確保しようとする人で埋め尽くされていました。
8:37、「富士はやぶさ」は下関駅に5分遅れで到着。
ドアが開くや否や、私も含めデッキにいた人たちはホームに飛び出し、やがて他の号車からの乗客も加わり、EF66の周辺は多くの人が詰めかけ大撮影会状態になりました。
この時点での下関の天気は雪ではなく、細かくみぞれっぽい雨が降っていましたが、あと2か月で見られなくなる貴重なシーンを撮影するためならそのくらいの雨は関係ありません。
3連休初日ということと乗客に家族連れも多かったので、鉄分濃い目な人だけでない多様な人々がデジカメや一眼レフ、携帯やビデオカメラなどを手に撮影に夢中でした。
中でも、5歳ぐらいの小さな女の子がニンテンドーDSのカメラ機能を使って大人に混じって撮影をしていたのには脱帽といったところでした。

東京駅からのロングランを終えたEF6643がネグラの下関車両管理室(当時)へ去っていくと、今まで顔が連結面に隠れていた1号車のスハネフ15にもシャッターの嵐が浴びせられました。
まだホームでの大撮影会が続いている間に私は「はやぶさ」車内へ戻りました。
撮影に夢中になりすぎてまだ自分の寝台に荷物を残している列車に乗り遅れてはというのもありますが、1号車の貫通扉越しに「富士はやぶさ」編成に接近してくる門司駅までのワンポイントリリーフのEF81を撮影するのも目的でした。
やがて前方からこの日の関門間の牽引を担当するEF81410号機が接近し、無事「富士はやぶさ」編成とのドッキングを完了しました。

下関駅発車も5分ほどの遅れ。わずか8分で到着する次の門司駅でもまた機関車交換と「はやぶさ」編成と「富士」編成の切り離し作業が待っているので、その撮影に備えて私も含め多くの人が寝台に戻らずまたまた1号車のデッキで関門トンネル通過を迎えました。
次回、九州上陸、そして「はやぶさ」お別れ乗車もラストスパートです。