当たらないからやらないのか? やらないから当たらないのか? | あさかぜ1号 博多行

当たらないからやらないのか? やらないから当たらないのか?

本日のお題:くじ運はいい方? 悪い方?

くじ運、悪いというかないと言った方がいいですね。
これまで生きてきた中で、懸賞や宝くじに当たったり、くじ運に恵まれたと実感できた体験がほとんどないからです。
小中学生の頃は、学習雑誌などの懸賞コーナーが楽しみで、いつもたくさんの賞品のラインナップの中からかなり迷って希望の賞品を選び、ほぼ毎月(毎号)アンケートはがきや応募はがきを送っていましたが、確か一度も当たったことはなかったと思います。
あの頃はこういった懸賞の当選者の名前もそれぞれの雑誌に掲載されていたので、時々そこで埼玉県内に住む同じクラスや知っている同級生らしき名前を見つけ、後日その同級生が自慢げに懸賞で当てた賞品を見せびらかしてきた時には、うらやましさとともに悔しさがこみ上げてきたのを覚えています。
そういう経験があったせいもあるのか、高校生ぐらいになると懸賞に応募したりすることにはあまり興味を持てなくなりました。もちろん、雑誌の懸賞コーナーやアンケートなどの応募などで当たる賞品が欲しいと思ったことは数限りなくありますが、では応募しようという気持ちになったかというとほとんどありませんでした。
その後、競馬や競輪などのギャンブルができる年齢になっても、それらにはほとんど興味がありませんでした。もともと両親ともにギャンブルをやらないこともあり、そもそもギャンブルは自分には縁遠いものだという気持ちがあったからかもしれません。
そのため、自分で馬券や車券を買ってみたこともなく、当然ながら当てたことも外したこともありません。まあ、下手にギャンブルにハマって、日々の生活にも困るようになったりギャンブル依存症に陥ったりするよりはずっとよかったといえばその通りではありますが…
あと、宝くじの方は、母親が年末ジャンボか何かを買う時に私の分としていくらかお金を出したことが何度かあり、自分自身でもスクラッチ式の宝くじにハマりかけた時期もありましたが、これもあまり成果はありませんでした。
そのようなわけで、私は自分にはくじ運やギャンブル運はほとんどないのだという気持ちが強く、どこかで一攫千金を狙いたいとか、一時期流行った「懸賞生活」なるものも自分には縁のないものと思い込んでしまっているところがあります。
まあこういうのも、チャレンジしないから当たることもないだけで、たまには勇気を出してリスクのない懸賞にでも挑戦してみては、と言われれば心は動くかもしれませんが。