八ヶ岳高原ペンションRYOZO -9ページ目
23ef7e64.JPG下の町まで降りましたが、湖畔にはもう小さな花が咲いています。
まだ雪も降るような感じもしますが、このまま春。温かくなるのでしょうか。

飯田の手前の駒ヶ根ICを降りると、何故かソースカツ丼の店が多いです。昔、ミズノの大関さん(オリンピック選手からデモ)と大町駅。電車の待ち時間を利用して入った店がソースカツ丼屋だった。そう言えば、あの大関さんはどうしているんだろう。
それでこの地域はソースカツ丼のメニューが多いです。近くでは長野と山梨の県境。国道20号線にある「レストラン国堺」ここはお勧めです。

それで、今晩の夕飯はソースカツ丼にしました。
ソース味。それも薄口で、丼ごはんの上にキャベツの千切り。それにヒレカツをのせソースをかける。ポイントは柔らかくした肉を包むころも。出来れば揚げた後にオーブンで温めます。
で、山本勘助は何者か。の文庫本を読んでいます。
名将なのだけど、かなり武術は下手だったのだろう。独眼、足が不自由。身体には刀の切り傷が数十カ所。各地を流転して信玄に使えるまでに40才を過ぎていた。熱意だけで世渡りが下手。何となく親近感のある人物。
主君信玄は勘助を採用するにあたり、この不気味でみすぼらしい風体を見ることが出来なかったらしいですがが、各地を流浪していた勘助は初めての召し抱えで奮起。直ぐに高遠・高島城・松本深志と築城に励んだらしい。
また信玄は勘助の能力を信じ他の家臣からの噂を阻止して勘助を護ったらしいのです。勘助も信玄の恩に報いるように、信玄に忠誠を誓い当時の常識を破った作戦で功を表し 、武田軍攻防の立役者になっていた。これら勘助の戦術は江戸時代までお手本にされたらしです。
大河ドラマではどんなシナリオになっているか判りませんし、当時の世相がそのまま今に当てはめる事も出来ませんが、興味深く勘助の生き様を勉強していきたいと思います。


本当に難しい。「今日は滑らないのですか。」と、事務所の人が声をかけてくれた。「どうもスランプで滑れば滑るほどおかしくなってるのでお休みです。」と答える。「私のゴルフと同じね。いつになっても上手くならないのよ。」この人、かなりやるなと思った。「私は途中が合ったけどこのゲレンデには20年以上も世話になっている。自分で下手だと思っている。下手で良いと思っている。だけどこれだけは上手くなりたい。」と、趣味の世界の座談会をしてしまった。
目的がある内は課題をクリアーすることで上手くなったと思う。なにもなくなるとそうは行かない。自己流と言うのでしょうか。私はこうありたいと考えるのだけど他の人から見れば奇人扱いにされる。広めようと思わないけど、自在に表現したい。少しだけは役に立つかもと思っています。

下手で良いのですよね。上手くなりたい気持ちがあれば下手でも良いのです。