鬼神と祭祀と時の流れ | 石読みと人間観察ラボ

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 いっぱしに子の親となって日々世話をし、成長を見守っておりますが、

親も人の子。ささやかな過ちを犯す事だってありましょう。

けれどもそんな失敗を乗り越え、本当の親子となっていくのではないかなとも思うのです。

 

 夕食を終えて一息つく頃、コップの中の水を勢いよく飲む二子と目が合いました。

赤い頬をぷっくりと膨らませ、飲むのに集中しながらもこちらを気にするわが子がかわいくて、つい、

 

「ぷっぷーwwww」

 

 とからかいましたら、不意打ちが我慢できなかったようで勢いよく水を噴きました。

幸い辺りに飛び散ることなく軽く拭くだけで事足りましたが、二子を突然襲った笑気は収まるまでに10分くらいかかりました。

自分のやったことで飲み物を噴き出す人がツボなので(ひどい)、その様子に被弾して私も数分笑い転げて動けませんでした。

 

 冷静になった今、あの時の事を振り返ってみて反省しております。

もしかすると近い未来、給食時間に牛乳を飲み合いながら笑かし合戦をするような、

あの悲惨な地獄絵図を展開してしまいかねない、災いの種を撒いてしまったのではないかと・・・。

 

こんばんは。石読み師のサカモトです。

 

こういうことがあっても仕方ない。人間だもの(すべての事を何故か許してしまえる魔法の言葉)。

 

 

 さて今回も鬼神シリーズ。以前は分からなかった祭祀や鬼神のルーツを調べたところで色々わかってきましたので、

書いて行こうと思います。

”鬼神は神か鬼なのか。”の中で、鬼神の事を知るのに”祭祀”という儀式がとても重要だと言われていたのですが、

中々調べ切れずに置いておいた状態になっていたので、その切り口から進めていきたいと思います。

 

調べてみた文献が、

秦~漢(秦→紀元前221~206)

漢(前漢→紀元前202~紀元後8)

新漢(紀元後8~23 王莽が前漢を乗っ取った王朝が入る)

漢(後漢→25~220)

の時代に合った出来事がまとまられていました。

 

 祭祀というのは、鬼神という特別な”氣”と繋がり、先祖代々からの”運”や”徳”と言った力を授かるための儀式を行う場所及び儀式そのものであるようです。

秦、前漢の神祠制度によると、当時の宗教制度と観念には、秦の時代より前に伝わっていた【巫教(=ネットでのヒットが少ない。古来から続くシャーマニズムが長い伝統の中で宗教化した物)】から生じたものが多く含まれていて、

・神と人との間の関係は礼物とそれへの返答であると信じられていた(=神に供物をささげることで何らかの力を頂こうと考えた)。

・供物の他に、人が神と通じ合うには特定の神祠(=神を祀るやしろやほこらのこと)を通さねばならず、特定の神を祀る祭祀所は特定の場所に建設しなければならなかった。

・「祠官」制度があり、各地の神祠を国家の管理下に組み込んだものであった(祠官=その神祠を司る神主さんのような立場の人)。

・漢の時代の祠官体系には、多くの巫者(神に仕えて、祈祷や神おろしをする人)が組み込まれていた。祠官は「秘祝(=日本で言う、陰陽道や修験道の性質を持つ呪術)」などの儀式や法力によって、皇帝に福をもたらしたり、皇帝の災禍を臣民の身に転移させたりした。

 

 とありました。祭祀とは、ざっくりいうと神降ろしの儀式ということになりますね。

 

更に別の文献では、

・祭祀は必ず天道に合致せねばならぬ。天道は万物の基幹で、創造神として絶対的な存在である(=天帝、天上の最高神とされるが姿などの記述なし)。

・祭祀の対象は同族の祖先であり、自己の宗廟(=中国において、氏族が先祖に対する祭祀を行う廟のこと)に於ける鬼神に限定される(鬼神であれば誰が祀っても良いわけではない)

 

 ただ、おかしなことに鬼神と繋がるのに必要なのが祭祀と神祠だというのに、肝心の鬼神が祀られる神の対象に入っていませんでした。

話の流れを追っていくと、秦・前漢の頃のシャーマニズムが主流だった頃、鬼神は確かに存在し、先祖のように祀られ、供物を捧げることで後世へと力を授けられる存在だと信じられていたようです。

しかし、時代が移り変わっていくにつれて、祭祀は人々が各々の先祖を祀るように鬼神を祀るのではなく、祠官制度を利用し、神祠を媒介とすることで、支配力を基層の農民まで及ぼす為のものとなり、体系化していきました(祭祀そのものの性質の変化)。

体系化することと儒教の広まりにより、

”シャーマニズムのような不思議な出来事よりも、今自分に出来ることに集中しなさい”という孔子の教えや、神や氣といった目に見えないものを否定する考え方の普及されていく中、子は親を敬うという教えはだんだん目上の者を敬うということとなり、最も目上の者である王に従うことを最上とするとなっていったようです。

従わなければ(鬼神によって)ひどい目に遭うぞ、というような、鬼神の強さ恐ろしさを強調させることにより、民を支配し恐怖させる存在へと変化していきました。

そしていつしか、いるかいないか分からない神よりも王のほうが上の立場へと成り替わったのでしょう。

政治や教えの必要上の神はそのまま存在することとし、祀られる神々は定められ、必然的に鬼神は神の立場を追われます。

漢末には神仙思想(=古代中国で、人の命の永遠であることを神人や仙人に託して希求した思想)が結合し、地界・人界・天界という世界観が成立したことで、天界に住むのは神や仙人、人界に住むのは人間、地界に住むのが鬼という階級制度が適用されることで(身分・立場として天界<<<人界<<<地界)、鬼は人間よりも低俗な存在物(=妖怪・悪鬼等)になったということです。

 

最初は神とまでは言わないけれども、神に届くかくらいには大切な存在だったのに、時代が変わって妖怪・悪鬼まで堕ちるとは。

これは・・・鬼上が存外おいたわしかった。。。

 

さらに調べてみましたら、別の時代に鬼神を信仰している民族がおりましたので、そちらを書いていきたいと思います。

 

長文お疲れ様でございました。

 

オマケ。

 

K-POP今まであまり聴いたことなかったんですが、CHUNG HAさんはかなり切なくて好きです。

♪コメントの方が兄上寄りで歌詞を書いてくださっているんですがなんてこくむざ。しかもよりちに後ろ髪惹かれつつのこくむざ(三つ巴)。私得。

 

 

それでは今日はこの辺で。

包み込まれるような優しさと強さを、心と空気に感じながら。

おやすみなさい。