ありがとうございます♪
Pノ助です。٩( ᐛ )و![]()
今日も僕のブログを
訪れてくれて
本当にありがとうございます!
(あなたの
を感じるなぁ〜)
ありがとうございます♪
٩( ᐛ )و
Pノ助です。
このブログは、私が1人の女性と出会ったことで、波瀾万丈な道のりを一緒に乗り越えていく2人を連載ストーリーでお届けしています。
今回は、第19話をお届けします。
【前回までのお話】
苦労の積み重ねで次第に変わっていく母と、大病の末思う様に動けない中、頑張ってきた父、2人はいつの頃からか物事を理解することができなくなってきていました…
そんな中での母のケガ…
そして
入院してからの母は、日に日に食事も取れなくなり、目を開けても寝ているような虚な状態から、一切目を開けることがなくなっていきました。1日また1日と見舞いに行く度に衰えていくのが辛かったです。
5月。病院の先生から、ついに告げられました。「これ以上は多分延命は難しいです。覚悟をしておいてください」
そもそもパーキンソン病を持っている母です。筋力も維持できないため、心臓の力が普通以上に弱まり始めていたのです。
彼女に伝えると、仕事を休み、母の最後までそばにいてくれました。
母の友人や少ないけれど親しかった人達にも連絡を取り、急いで駆けつけてくれました。父と母の10代からの友人夫婦も駆けつけてくれ、最後まで母に呼びかけてくれていたことは本当の感謝しています。
そして…
1人づつからのお別れを聞いていたであろう母は痩せ細り、生前の面影もなく干からびた様なその頬を、皆さんへの生前の御礼を伝えるかのように涙が静かに伝い、流れ落ちていきました。
母は、横たわる病室のベットの上で、呼吸器をしたまま小さくなった体を膨らまし、のけ反るくらいの大きな呼吸を一つすると、静かに息を吐きながらゆっくりと、そして静かに息を引き取りました。
人の最期を見送るという経験。それは、僕にとってはもちろん初めてです。とても言葉には言い表せない葛藤があるのだとこの時初めてわかりました。
数日後、母の葬儀を行いました。とても小さな式でしたが、生前お世話になった方々が弔問にきていただき、本当に温かく母を送り出すことができました。
母は、経済的にとても苦労した人生を歩んだ人でした。家族のために、自分のことを後回しにしてきた人。そして文句も言わず、笑顔と愛情をいつも僕達に注いでくれていた人でした。
だからこそ、もっと何かしてあげたかった。もっとちゃんと感謝を伝えておきたかった。後悔しか今も浮かびません。
僕の住んでいる家のリビングには、僕がまだ彼女と付き合う前に、家族3人で行った沢山の梅の木と青空が広がる真ん中で、父の腕に両腕を回し、寄り添う様にもたれたれかかる母。青空に負けないくらいの最高の笑顔で映る2人の写真が、今も僕と彼女を笑顔で見守ってくれています![]()
「おふくろ、お疲れ様でした」「そして本当にありがとう」
「もし生まれ変わっても、僕の母でいてください」
「そのときは、ちゃんと、ちゃんと…親孝行させてもらいます」
🌱あとがき
人生にはどうしても「悔い」が残ってしまう場面があります。それでも生きている限り前に進むしかありません。
僕にできるのはこうして記録を残すこと。そして、どこかの誰かがこのブログで少しだけ優しい気持ちになってくれたら、それだけで、母にも胸を張れる気がします。
>>>つづく
次回予告
母との別れはあっという間でした。
そして父との毎日が始まります…
最後まで読んでもらえて嬉しいです!!
ありがとうございました。
(
だろ?
)
これに懲りずに
またきてくださいね〜![]()
Pノ助٩( ᐛ )و![]()
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