今日も僕のブログを

訪れてくれて

本当にありがとうございます!

(あなたの愛を感じるなぁ〜)

 

 

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このブログは、僕が1人の女性と出会ったことで、波瀾万丈な道のりを一緒に乗り越えていく連載ストーリーでお届けしています。

 

 

今回は、第17話をお届けします。

【前回までのお話】

緊急入院で、母の症状の酷さを改めて知らされ、さらに1番の身内の「死」と向き合うこととなった…

 

 

 

  更に重さを増した“ダブル介護”

 

このときから、僕の生活は全て母の見舞いと父の介護の毎日となりました。

仕事はこの頃は軽配送を再度はじめて以前の仕事は辞めていました。

 

 

辞めた理由はこの後にも出てくる知人からの誘いだったのですが、

ここでも仕事に進展がなかった為、友人の伝手で軽配送をしていました。

しかし、両親の介護がありましたから、定期で仕事も出来ず時間がある時にスポットの仕事ができる程度の仕事でした。

 

 

スポット仕事の先は大抵長距離の仕事でした。

彼女を助手席に乗せて何度か遠方に配達に行ってはドライブと称して下道で何時間もかけて帰って来たものです。

 

 

青森、秋田、山形、岩手、宮城、福島、新潟、富山、石川、群馬、栃木、茨城、千葉、静岡、長野、岐阜、愛知、滋賀、大阪、奈良、京都、兵庫、姫路、岡山、三重、徳島、和歌山、香川、広島

(ずいぶんと色々行ったなぁ爆  笑

 

 

毎日仕事があるわけでは無いので経済的にはかなり無理があるなか、

更に母の入院や父の介護の為、完全に仕事はできない状況となりました。

入院した母の看病と家での父の介護ガーン

 

 

実は父は、僕が15歳の頃から半身不随で。

それでも懸命に生きてくれていましたが、この頃から認知症の症状が一気に悪化していました。

 

 

僕といえば仕事のこと、生活のこと、介護のこと。

頭がいっぱいで、その日を生きることが精一杯。

心がすり減っていくのを感じていました。

 

 

「少しでもいいから、気分転換しよう」

そう言って彼女を連れて横浜のズーラシアへ。

動物園なんていつぶりか覚えていないくらい前でした。

まだ甥っ子が小さい時にここに連れてきたのが最後だったように思います。

 

 

動物たちののんびりした姿。

普段聞かない鳥の声や、土の匂い。

たった数時間だったけど、非日常が僕の心をそっと撫でてくれました。

(人間、ずっと頑張り続けるなんて無理だよな…)
(逃げてもいい。少しだけでも、自分を許してもいい)

 

 

そう思えたことが僕にとってのその時唯一の救いでした…

 

 

>>>つづく

 

 

次回予告

日々変化していく母のこと、父のことを書いてみようと思っています…

 

 

最後まで読んでもらえて嬉しいです!!

ありがとうございました。

愛だろ?愛

 

これに懲りずに

またきてくださいね〜バイバイ

 

Pノ助٩( ᐛ )و笑い

 


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