振り返るとスルジ山。ナポレオンが建てた十字架と
復旧したロープウェイの発着所が見えます。
(まだ復旧してないと思ってたので動揺

驚きで写真を取り損なった。。
ああ、時間があれば…)
ちょっと。。というか、
かなり塩っ辛いのでパンに乗せて食べると美味しい(笑)
そしてデザートは、私的にメインだったお目当てのプリ~ン
あぁんもう、カットせずにボールごと持ってきてくれて良かったのになぁ(笑)
振り返るとスルジ山。ナポレオンが建てた十字架と
復旧したロープウェイの発着所が見えます。
(まだ復旧してないと思ってたので動揺

驚きで写真を取り損なった。。
ああ、時間があれば…)
ちょっと。。というか、
かなり塩っ辛いのでパンに乗せて食べると美味しい(笑)
そしてデザートは、私的にメインだったお目当てのプリ~ン
あぁんもう、カットせずにボールごと持ってきてくれて良かったのになぁ(笑)
まずは高台から右を向いて一枚…
大きな客船の向こうがロクルム島。
ナチュラリストビーチのある島です(笑)
「王冠を捨てた恋」かのエドワード8世も
その新婚旅行でドブロヴニクで食事をして
この島で楽しんだんだとか…
ちょっと近づいて見ると
なんか見覚えありません?この景色w
魔女の宅急便でキキが訪れた
海沿いの街のモデルだそうですよ
そしてバスは引き返して城門の前に…
いよいよ世界遺産の街、ドブロヴニクへと入城です
ピレ門へと向かう橋から見たボカール要塞と
オノフリオの大噴水です。
大地震でほとんどの装飾は壊れてしまったそうですが
今でもその水は旅人の喉を潤します。(飲料可なんすw)
そしてメイン通りであるプラツァ通りを抜けて。。
ああ、もう一杯あり過ぎて写真が選べない(笑)
この後は自由時間で城壁めぐりをしましたので
その時撮った写真を数点あげときますねw
スプリットでは地下宮殿の見学の後
自由行動がありました。
集合場所はここ、ディオくんが
「死んだらここ眠る」って作った霊廟改め大聖堂。
なんて改めかというと。。
後に移民してきたキリスト教徒に乗っ取られたから(笑)
眠ってるディオくんの石棺を破壊して教会にしちゃったという
どんだけ恨まれてたんだっていうディオくんの霊廟は現在、
立派にキリスト教の教会として現役で活躍中デス(笑)
鐘楼にも10クーナで登れますので
360度のパノラマビューをお楽しみいただけますお~♪
…が、時間がなくって私は登りませんでした。
現在、この辺りも修復作業中で足場が組んでありますが
ちゃんと見学はできますヨ。
そして話題のローマ兵士の撮影隊(笑)
他の方のブログで知ったのですが最近ではどうやら
ディオくんとその奥さんも出没してるそうです!!
ツアーだと難しいけど個人旅行の方はぜひ、
時間を合わせてレッツトライ(笑)
勝手にリンク
ディオクレティアヌスに会いました。
そういえばこの辺りにネクタイ発祥のお店も…あった
そう!クロアチアはネクタイ発祥の地なんです!
その昔…といっても中世の頃ですが
戦地へと赴く兵士の首に、家族や恋人が
無事を願いスカーフを巻いていたことから
スカーフを巻いた民族=クラバット(クロアチアの人)
そしてフランスに30年戦争(1618年~1648年)の頃、
クロアチア人も戦地へと赴きます。
女性(恋人や奥さん)から送られた赤いスカーフを巻いた
クロアチアの傭兵達をみてルイ14世が
「あれなに?かっこいいじゃん
オレもやる
」
ってマネしたのが始まりだとか(笑)
王様がやってたらみんながマネして
クラバットがいつの間にか広まっちゃったというw
ネクタイ発祥の地、クロアチアの老舗「CROATA」
だから当時(中世)の兵士を模した格好で
入口を守ってたんですね~
そしてこの先を少し進むと青果市場があります。
ここで同行のオバ様がお買い上げのさくらんぼを
たくさん分けてくれて(笑)
そしてこのおばちゃんに「2個買えば安くしてあげる」
とみごとに掴まってお買い上げ(笑) この商売上手w
勝手にリンク
ラベンダー売りのおっかさん
朝は閉まっていたこの通りも賑やかに楽しい街歩きv
宮殿の外壁に沿って、
たくさんのラベンダーやチーズに果物、
蜂蜜に卵やパンに野菜がこれでもかと積み上げられて
色とりどりのお花に囲まれる楽しい市場です。
ああ、もっといっぱい写真撮っとけばよかったなぁ。。
集合時間になるとどこからか男性コーラスが聞こえてきた
ディオくんのプライベートルームに繋がる前庭で
運が良ければ聞けるクラパの演奏が始まったんです
しかも今日は人数も多くて…おお~
石壁に反響してめちゃくちゃいい
CD早速お買い上げv
※クラパとは、男性のアカペラグループのこと。
クロアチアでは街角でこうして、プロ・アマ問わず
歌ってるんだって。 私たちが聞いたのは、偶然だけど
結構有名なグループだったらしい。
そんな魅惑的な歌声を聞きながら、昼食のお店へと移動し
何つ~タイトル。。
でも、実際そうなんですよね。
ここ、スプリットはローマの皇帝
ディオクレティアヌスさんが引退後の余生を
を作りながら海の傍でのんびり暮らしたいって
実家からほど近い場所に新しく作った都。
もちろん世界遺産でございますw
ディオクレティアヌスさんは、ローマ史上唯一の
自分から引退した皇帝といわれています。
スプリットのほど近く、サロナの街で生まれ
下級兵士から成りあがって皇帝にまでなった。
んでもって元気なうちに老後のことまで考えて
海辺に新たに新居宮殿をこしらえたと(笑)
しかしこの方、キリスト教への弾圧も厳しかったそうで
なんと入信した奥さんや子供まで殺しちゃってるという。。
そんなディオくんの死後、故郷サロナの人々が
滅亡したローマ帝国を狙って入り込んだ異民族から逃れるべく
空き家になった宮殿にこれ幸いと住みついた。
しかも「こいつ、キリスト教弾圧してたんだぜ。仕返しだい」
とばかりにディオくんの石像やエジプトから持ち込んだ
数々のスフィンクスや石像をたたき壊され
勝手に増改築なんぞされて出来上がったクリスチャンの街。
…ってのが珍しいじゃん(笑)
という理由で世界遺産に登録されたという街でございます。
(注意:かなり意訳しておりますデスよ 笑)
下には受け皿つきのコーヒーカップが置いてある…
そう!この手から水が出るようになってるらしい
そして斜め向かいには無印のショップが(笑)
シベニクなんて可愛いもんですよ(笑)
イワンさん曰く、スプリットでいうハチ公前(笑)
待ち合わせと云えばココなんだそうですよw
現在、ディオくんのお家で無傷で残ってるのは地下のみですが
しかもそれは「ゴミ捨て場」としていろんなものに
埋没してたから無事だったと云うなんともなお話し…
居候さんたちったらお家の床に穴開けて、
とにかくイラナイモノを不法投棄捨ててたっていう
なんともアバウトな保存法。。
発見時はほぼ天井までぎっしりと
〇〇とか××とか、堆積しててすごかったそうですw
でもそのお陰で風化もせず、
綺麗な状態で発見されたんだってさ
こんな風に埋もれている所は
上の住宅が崩壊するから触れないんだそうですヨ(笑)
(とはいえローマ時代の柱やなんかがお家のインテリア 笑)
城壁に穴開けて窓付けちゃったり
勝手に間取りを変えて分譲住宅にしちゃってたり(笑)
じっくり時間をかけてみるとすごく楽しい街並です。
当時のユダヤ人のお家。なんか特徴があるって言ってた。
そして地元っ子はそんな街中の行きつけカフェで
のんびりコーヒーをすするのが大好きなんだってw
さすがにツアー参加の数時間では味わいつくせない
もっとじっくり眺めて見たい街…
駆け足で宮殿内を見て回り、ぐるっと一周すると
当時の宮殿の姿と
プロムナードの今と昔
入り口で入場料を払えば、ディオくんの地下宮殿へと入れます。
とはいえ、地下宮殿と云えば聞こえがいいけど、
私たちが見学できる場所はディオくんの時代、
食料庫であり、下働きの人たちが働いていた空間のこと。
でも上の支配者層の方々が暮らした場所と
まったく同じ作りのため、かつての宮殿を空想することのできる
貴重な地下の空洞となってます。。
地上だけ見てたらかつての宮殿の姿なんて
全く想像もできないし
しかも当時から今まで、当たり前の日常としての営みを
崩すことなくそこで生活してる人たちの姿を
身近で感じられるっていうのがやっぱりすごいですよね~。
木の文化で暮らす日本人には
結構なカルチャーショックだったんだなぁ…と改めて実感。
今あるものを組み込むことなく、
朽ちる、壊す、再生するのが木の文化ですものね。
でも石の文化で暮らすヨーロッパの感覚が
ちょこっとだけ実感として感じられた。。街です(笑)
余談ですが、これが「俺を通せ」通り(笑)
実は、ジュピター神殿(改め洗礼堂)の真横に出ます。
「俺を通せ」通りだなんて名称は、生粋のスプリットっコのガイド
イワンさんらだけの通称ではないかとも思われる(笑)
とかいいつつ思い出したのがこの町、
さすがに新築は無理だけど賃貸でなら
今からでも住めるそうですよw
ま、ちょっとお高いようですけどね![]()
さりげなくご年配の方に手を貸す若者![]()
ちなみにこちらのスプリットからは
私の行きたかった青の洞窟へと渡る
ヴィス島へのフェリーが出てます。
ラベンダーで有名なフヴァラ島やヴィス島へ渡って
そこでツアーに申し込むと行けるらしいけど、、
天気が良くないと洞窟内には入れないんだって
日程にはゆとりをもって…って、
ツアーでは無理だなぁ(笑)次回はフリーで回っちゃいそうw