入院手続きを済ませると、父の検査が始まった。
本日の検査は、頭部のMRI検査だった。
検査室の前で母と二人父を待つ。
母がポツリと話す。
「お父さん、優しいやろ?」
「うん」
「お父さん、自分が大変なのに残されるお母さんのことばっかり気にしてくれる」
「うん」
「お父さんが、可哀想で涙が出てくる」
目がしらにハンカチをあてる母。
どうか、こんな優しい父を母からとりあげないでください。
改めて、母と父へのサポートをどうするか話合った。
しばらくすると父が検査室から出てきた。
このまま、入院する病棟へ向かうとのこと。
父の荷物を持ち、私たちは3人病棟のナースステーションへ向かった。
一人の看護師から病室へ案内される。病室は2人部屋で父は入口手前のベッドを用意されていた。
いったん病室へ荷物を置き看護師とともに入院前の身体測定と簡単な問診を受けるため談話室へ向かう。
父は、人見知りをする。知らない人とは必要最低限の言葉しか交わさない。
穏やかな口調の看護師は、言葉を選びながら父の話す言葉に傾聴する。
あらためて、私と母はビックリした。
看護師は年齢的にも20代前半。もっとも父が苦手とする部類の若さである。
その父が、饒舌にニコニコしながら現在の状況を話していく。
看護師の質問を遮り、自分の状況を説明していく。
看護師は、父の話を上手に頷き、相槌を巧みに交えながら時に冗談も入れながら問診を進めていく。
すっかり上機嫌になった父は、これからの入院への不安がすっかり腐蝕されていったようだった。
問診が終わり、病室で荷物の整理を始める父。
「あ、Sさんに寝巻を貰ってこにゃいけん・・・」
70歳を越してから物覚えが悪くなったと言っていた父、とくに初対面の人の名前と顔は一番覚えられないと言っていた父が、先ほど問診していただいた看護師の名前を覚えていたことに私と母は再び驚いた。
看護師Sさんの傾聴の姿勢の素晴らしさに改めて感服させられた。
これから、父をよろしくお願いします。
私と母もこれからお世話になる病院への信頼がより高まったのを感じた。
これまで、「先は長くない」と否定的なことばかり言っていた父が「今年も年賀状を書かにゃいけん」といい始めた。
「そうよ、今年だけじゃなく、来年も再来年も準備してもらわにゃ」
私が話すと、父はうんうんとうなずきながら一言話した。
「とりあえず、後5年生きれるようにがんばらにゃ・・・・」
父の一言に目がしらが急激に熱くなった。
5年生存率。
小細胞肺がんの5年生存率が著しく低いことはわかっている。必死に涙を堪え、
「そうよ、5年だけでなくもっと生きてもらわんにゃいけんのやけぇね」
溢れそうになる涙を隠し、「お茶汲んできてあげるからね」と取りだした水筒を片手に病室を後にした。
18時になり、夕食が父のもとへ届けられた。父の食事を見届け、私と母は病室を後にした。