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大分アントロポゾフィー研究会

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ミームの正体を見極めることは、むずかしい。

成長した通常の人間が通常成している悟性的思考が、ミームのアルゴリズムと同定できるからだ。ここにからくりがある。

 

とりあえず、ミームのアルゴリズムに可能な限り同調しないように注意しながら、ミームを見てみよう。

 

1 人間の成長の在り様と共に、ミームはその姿と在り様を変える。

 

1-1 この地上の世界に誕生して7歳ごろまでに、人は自らの物質体の大枠を完成させる。この時点で、人は感覚魂となる。つまり、この時点において、ミームは感覚魂である。

1-1-1 通常の自然科学においては、私がここで言うミームは、遺伝子とゲノムとほぼ一致する。ただし、私は唯物論者ではないから、通常の自然科学による遺伝子とゲノムの説明には、不十分さと不適切さを感じる。

1-1-2 感覚魂としてのミームは、形態の霊/エクスシアイの主導により形成される。種(しゅ)としての人間の範型(はんけい)が形成される。

 

1-2 7歳から14歳ごろまで、人は感情を発達させる。心情魂としてのミーム。

1-2-1 この成長段階の人間は、まだ悟性魂としてのミームを持たないから、自分の感情を悟性的思考によって制御することができない。また、沸き起こるその感情の由来を追求する術を知らない。ところが、すでに魂は感覚魂の段階を超え出ており、自らの個体性に端を発する偽りの自我/ペルソナが芽吹いている。霊たちの世界から分け隔てられたことによる、いわば一種の傷口が疼く(うずく)。

 

“・・・たとえば、どんな子供の場合でも、学齢期の途中で、ほぼ9才から11才の間に、一つの実に難しい時期があるものです。この時期のことを、教育者が見逃すことは許されません。発育の特に遅れている子供でないならば、この9才から10才の間に、子供の心に「自分は世の中とどんな関係にあるのだろう」という問いの生じる時期が参ります。もちろん私が今申しましたような形で、問いが出されるとお考えになってはなりません。この問いは、はっきりしない感情の形で不満足な気持ちの中に現れてくるのです。この問いは、子供がある特定の大人に対して、以前よりは強く依存したい欲求を感じるという形で現れたり、また場合によっては、大人に対しての強い愛情の傾斜から、自分を目立たせるという形で現れることもありましょう。ですけれども私達は、この危険な時点において、子供の中で何が起こっているかを正しく観察することを知らなければなりません。子供は突然、自分が孤独であると感じます。子供は突然、接触を求めます。これまでは、大人の権威を自明のものとして受け取っておりましたのに、突然この時期に「一体この権威とは何だろう」と問うことが始まるのです。この瞬間に適切な言葉を見つけるか否かに、人間の後の全生涯にとって言い知れないほど多くのことが、かかっているのです。”(ルドルフ・シュタイナー『教育の根底を支える精神的心意的な諸力 - オックスフォード講演 -』新田義之訳 人智学出版社 p. 25,26)

 

1-2-2 これが一種のいわば発火点であることは疑いを入れない。悟性魂としてのペルソナの出発点だ。人は自らの悟性魂によって、自らの心情魂を統べようとする。拠り所とするのは、悟性的思考を成す悟性魂であり、悟性魂が心情魂をコントロールすることにより、ペルソナとして安定を得る。

1-2-3 ただし、これは仮初(かりそめ)の安定であり、偽りの自我としてのペルソナはそのような仮初の安定を保持し続けるために、ほとんど闇雲(やみくも)なまでの無駄な努力を続ける。自己欺瞞に満ちた奮闘。ペルソナが偽りの自我である以上、このことは避け難い。

1-2-4 子どもは、「一体この権威とは何だろう」と問うが、自分が霊から離れたという痛みと共に、未だ自らの核心には至らず、偽りの自我としてのペルソナも弱々しく傷つきやすい状態に留まっている。だから、「この瞬間に適切な言葉を見つける」必要があるのだ。子どもは、言葉を媒介にして、とりあえず次のステージへと進む。もちろん、何らかの「適切な言葉」が見つかって、ペルソナとして成長したとしても、それはまだ旅の途中だ。子どもは、ミームの世界へと深く深く分け入ってゆく。

 

1-3 14歳から21歳ごろまで、人はミームのアルゴリズムと同化/共存し、悟性魂となる。ミームが悟性魂である。そのアルゴリズムは悟性的思考である。アルゴリズムに従うことで、悟性魂が心情魂と同期するようになる。

1-3-1 思春期を経た人間に、人間の他者が一種の存在の謎として現れる。この謎は、ミームのアルゴリズムから来るものではない。この謎はミーム空間の外にある。悟性的思考の集積としてのペルソナは、このいわゆる他者の謎に直面して、自らの無力を感じざるを得ない。