境域の謎、ミームの謎 (6) | 大分アントロポゾフィー研究会

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エーテル体について、もっと詳しく見ていきたい。

 

“子どもが七歳に近づき、じょじょに歯が生え変わるようになると、エーテル体の外側の覆いは脱ぎ捨てられます。このとき、すでに〇歳から七歳までの時期に物質体が自由だったのと同じような意味において、エーテル体は自由になります。この時期から教育者は、エーテル体の形成をうながすものを、すべて子どもに与えるようにしなくてはなりません。ただし、子どもの理性と悟性を育てることを重視するのは誤りです。とくに七歳から十二歳くらいまでの子どもにとって重要な意味をもつのは、「権威と信念と信頼と畏敬」です。エーテル体の特性は、とくに子どもの性癖や性格となって現れます。またこの時期に、子どもの判断能力に働きかけてはなりません。性的な成熟を迎える前に、子どもの判断能力の発達をうながすと、かならず有害な結果を招くことになります。”(ルドルフ・シュタイナー『霊学の観点からの子どもの教育』松浦賢訳 イザラ書房 p. 26,27)

 

子どものエーテル体の発達との関連で、シュタイナーがとりわけ重視している「権威と信念と信頼と畏敬」とは、そもそも何か?

これらはどれも単純な意味における感情を意味しない。むしろ、これらの事柄は、態度であり、姿であり、在り様である。魂的な衣をまとってはいるが、霊の在り様を表しているのだ。そう、その表れであると言うべきだ。

「権威」とは、霊的な権威。「信念」とは、霊を志向する意志。「信頼」とは、存在することそのものに対する信頼と安心。「畏敬」とは、霊的存在への畏敬、そして他者に対するリスペクトである。

 

これが、基盤になる。生命であるもの、エーテル体の本質こそが、基盤となる。

 

シュタイナーは、「この時期に、子どもの判断能力に働きかけてはなりません。性的な成熟を迎える前に、子どもの判断能力の発達をうながすと、かならず有害な結果を招くことになります。」とも語っている。

「子どもの判断能力」とは、言葉を変えると、子どもの思考力であり、さらには思考を経て生み出される意志でもある。だが、この時期(七歳から十四歳)の子どものアストラル体は、いまだ特に母親のアストラル的な覆いの中にあって、子どもは自らのアストラル体を発達させるには至っていない。つまり、この時期の子どもは自分の力で思考することはできないのだ。

 

ここに深刻な鬼門がある。

考える力のない子どもに、考えることを強いるわけにはいかない。子どもは、何か重大な勘違いをするに至る。未熟なアストラル体の掻爬(そうは)のようなもの。

通常、人間が考えているその思考の仕方は、悟性的思考であり、この思考に心情魂から来るいろいろなものが随伴している。イメージとか感情とか。この悟性的思考と共に、私たちは、ミームの地獄にある。マテリアリズムとセンチメンタリズムの迷宮だ。マテリアリズムが魂に死をもたらし、センチメンタリズムが魂を腐敗させ、堕落させる。