どんな人間でも、一人にされ、誰とも会うことを許されず、そのまま、ある程度の時間が経過すると、意識状態に変化を来し始める(きたしはじめる)。いわゆる拘禁反応の兆しだ。アストラル体の在り様が変化するのだ。アストラル体は、この地上を魂が生きる上での拠り所である。現代の人間は、アストラル体という体的基盤の上に、自らの悟性魂/心情魂の生活を営んでいる。アストラル体という体的基盤こそが、ミームだと。
このようなアストラル体に生じた変化が昂じて(こうじて)、エーテル体にまで影響を及ぼすようになれば、その病的な危険性は一気に高まる。エーテル体は本来の意味での思考の基盤であり、さらに本来の意味における記憶の拠り所だから。
いわば思考の持久力が弱まり、一貫性を保つことができなくなる。もちろんその強靭さも失われる。硬直し、柔軟性がなくなる。生きた思考ができなくなる。無機的、機械的、唯物論的になる。融通が利かなくなる。行き着くところは、他者に対する配慮ができなくなる。そもそも思考とは、他者感知のための器官なのだ。
さらに、記憶の断片化が始める。記憶できない、思い出せない、といういわゆるブラックアウトが頻繁に起こるようになる。本来の記憶と本来の自我とは切っても切り離せない関係である。本来の記憶とは、本来の自我が関与するときに初めて、生起するものであり、本来の自我の関与なしに本来の記憶が刻まれることはないのである。人がうわの空で何を成しても、いわゆる短期記憶には成り得ても、長期記憶にはならない。