現代という時代状況において、協会をめぐるテーマの第一に来るべきだと考えられるのが、意識魂における純粋思考の問題だと思われます。
なぜなら、霊/精神-魂-体(たい)という構図と、霊界/精神界-協会-地上の世界という構図とが重なり、二重写しのようになっているからです。つまり、協会において要となるのは、人間の魂であり、アントロポゾフィー協会において、その魂は意識魂でなければならないということです。
さて、その意識魂において純粋思考が働きます。しかし通常、私たちの魂は、悟性魂/心情魂の状態にとどまっており、そこにはアーリマン/ルシファー由来のミームが巣食っているのです。だから私たちは、意志的な思考である純粋思考に照らして判断したり、行動したりするのではなく、ミームのアルゴリズム(影のような思考)に従って行動しています。自分で考えるのではなく、アーリマン/ルシファーの言いなりだと言えるでしょう。
さて、意識魂における純粋思考について、まず言及しなければならない重要な事柄について述べておきたいと思います。
1 意識魂における純粋思考は、必ず何らかの観察対象をめぐる思考となる。
1-1 思考は、エーテル体において律動しているが、人間の魂はそれを意識しておらず、そのために通常、人間は無意識となり、眠りに落ちる。
1-2 エーテル体における思考は、原初的な純粋思考であると言える。原初的な純粋思考は、感情や意志の要素とも一体となっている。人間は、そのような原初的な純粋思考を意識することはできない。
1-3 人間の意識によって制御されないそのような原初的な純粋思考のエネルギーは、場合によっては通常の日常生活にとって不都合なかたちで噴出し、いわゆるクンダリニー症候群をひき起こす。そのような不都合を回避する方策については、ルドルフ・シュタイナーの『いかにして高次の世界を認識するか』を参考にすべきである。
2 意識魂における純粋思考が観察する対象とは何か?意識魂はそれらの対象をいわば目印/道標にして、純粋思考を推進するが、それらの対象とは何なのか?いわゆる自然界、森羅万象の世界、地上の世界については、とりあえずおくとして、魂の世界および霊界/精神界について。
2-1 純粋思考は、神秘文字の象徴(cf. 『いかにして高次の世界を認識するか』)を観察する。シュタイナーは、『神秘学概論』において、いくつものそのような神秘文字の象徴を公にした。「アーリマン」「ルシファー」もその一つである。また、数々の講演録において、彼はそれらの神秘文字のボキャブラリーを自在に活用している。
2-2 『自由の哲学』においては、そのような神秘文字の象徴は用いられない代わりに、シュタイナーが拠り所としたのは、理念/概念だった。純粋思考はここでは、理念/概念という思考体を目印/道標にして推進される。
2-3 理念/概念であれ、神秘文字の象徴であれ、いずれも思考体としての本質において変わるものではなく、極論すれば、ともに人類の記憶に由来する。だからアントロポゾフィーとは、そのような人類の記憶を想起する営みである、と特徴づけることができる。そのような想起の営みを実践する上で、意識魂において純粋思考を成すことが不可欠である。
3 私たちは常日頃、どちらかと言うと、あまりにもぼーっとして、自らの生活に関わる諸々の事柄を他人事のように思いがちではないだろうか。無自覚に、スピードの速さや何事も楽に済ますことばかり追い求めてはいないだろうか。おそらくこれらの生活の仕方のすべてが、アーリマン/ルシファー由来のミームのアルゴリズムに従うことから来ているのだ。悟性魂/心情魂に巣食ったミームの虜(とりこ)である。
3-1 そうだ。まず、ここから始めなければならない。この恐るべきアーリマン/ルシファーの魔術/迷宮に気づいたならば、あなたの魂は、きっと意識魂に変化・変容し始める。すると、その意識魂の中で、純粋思考が目覚める。まるで、キリストの光に導かれるように。