ルドルフ・シュタイナー『自由の哲学』(本間英世訳 人智学出版社 1981年)の訳者あとがきに、次のような文章がある。
”・・・本書『自由の哲学』が彼の全著作の中で占める位置は、決して小さなものではない。シュタイナーの哲学に対する関心はすでに若い頃から始まっていたが、彼の哲学的構想は年と共に熟していって、本書においてきわめて独創的な結実を見るに至った。この辺りの事情については、彼の自伝である『わが人生の歩み』の中で詳しく述べられている。彼は自分の哲学を展開するに当たって、その当時支配的であったカント哲学と徹底的に対決する必要を感じた。彼は「自由の哲学への序曲」という副題を持つ『真理と学問』(1892年)という著書の中で、次のように述べている。「現代の哲学は不健全なカント信仰に罹っている。本書はこの病いを克服するための一つの寄与たらんとするものである」。
『自由の哲学』はこの道の延長線上にあって、更に同時代の哲学者たちとの対決を通じて自己自身の哲学を展開したものである。・・・
・・・
本書は著者の発想とその展開を共にしえない者にとっては、決して易しいものとは言えない。原文も決して論旨がたどり易いものではないが、・・・”(ルドルフ・シュタイナー『自由の哲学』本間英世訳 人智学出版社 p. 282,283)
シュタイナーの自伝『わが人生の歩み』には、『自由の哲学』の理解へと読者を導く次のような文章がある。
”私の人生の第一期が終る頃、人間の魂を教導しようとする様々な試みに対して、明確な態度を取る必要が生じてきた。こうした魂教導の試みの一つに神秘主義があった。神秘主義は人類の精神発達上のさまざまな時代に現われ、東洋の叡智、新プラトン主義、中世キリスト教、カバラ等の姿で私の意識にのぼってはいたが、私個人の性向からして、私がこうした神秘主義と何らかの関りを持つことは困難であった。
私から見ると神秘家は、霊的なものが顕現する理念の世界を正当に扱っていないように思われた。彼らが魂の満足を得んがために、理念を、理念を欠く内面へ沈めようとするのは、彼らに真の霊性が欠如している証拠であると思われた。それは光への道ではなく、霊的な闇への道である。霊的な現実は、確かに理念の中でそのままの形で活動しているのではないが、しかし、理念を通して体験される。それ故、理念から逃避することによって魂がこの霊的現実に到達しようとするなら、それは認識上の失神であると私には思われた。
それにもかかわらず、神秘主義には私を惹き付ける何かがあった。それは神秘家たちの内的体験のありようであった。彼らは人間存在の根源を理論的に考察して、これを何か外的なものとみなす道は採らず、この人間存在の根源と一体化して内面的に生きようとするのである。しかしまた、理念世界の内容を捨て去ることなく、理念世界の完全に明晰な内容を保持したまま魂の深淵へ沈潜しても、同様の内的体験が得られるということもわたしには明らかであった。私は理念世界の光を、内的体験の温もりの中に持ち込もうとした。私に言わせれば、神秘家とは、理念の世界に霊を見出すことができず、それ故、霊に凍えている人間であった。彼は理念の世界で寒さを感ずるあまり、魂の必要とする温もりを、霊から逃れることによって得ようとするのである。
私の場合は、霊の世界での漠然とした最初の体験を明確な理念へと形成する時にこそ、魂は温もりを経験した。霊に満たされた理念と共に生きる時に感じられる温もりや、魂の親密さをこうした神秘家たちは何と誤解していることだろう、と私はしばしば一人ごちたものだ。私にあっては霊に満ちた理念と共に生きることは、霊界との個人的な交際のようなものであった。
神秘家は、唯物論的に考える自然研究者の立場を援護しこそすれ、弱めることはないように私には思われた。こうした自然研究者は霊界の考察を拒否する。なぜなら、彼は霊界そのものをそもそも全く認めないか、あるいは人間の認識はただ感覚的に観察できるものにだけ適用できると思い込んでいるから。彼は感覚的な見方がこれ以上は進めない地点に、認識の限界を設定する。通常の神秘家は、人間の理念を媒介とする認識に関しては、唯物論者と同じ考えに立つといえる。すなわち彼は、理念は霊的なものに到達できず、したがって人間は理念による認識をもってしては、常に霊的なものの外部にとどまらざるをえないと説くのである。然るに彼は、どうしても霊的なものに到達したいので、理念に関わらない内的体験へと赴くのである。彼は理念による認識を単なる自然物の認識に限定してしまう。その結果、唯物論の立場に立つ自然研究者を正当化してしまうのである。
しかし、理念を持たずに魂の奥処に赴いてみても、単なる内面的感情の世界に至るだけである。そうしておいて彼らは、霊的なものは、我々がふつう認識の道と呼んでいる道を辿ることによっては獲得できないと主張し、また、霊的なものを体験するには、認識の次元から感情の次元へと沈潜せねばならない、と説くのである。
唯物論に立つ自然研究者が、霊に関する立言を、現実とは何の関係もない空想的な言葉の遊戯として一蹴しない場合には、彼は以上のような見解に同意するかもしれない。しかしその上で彼は、感覚的なものへ向けられた自己の思考を唯一正当な認識の基盤とみなし、霊的なものに対する人間の神秘的な関係は、個人の素質に応じて現われたり現われなかったりする、純粋に個人的なものにすぎず、それ故、こうした事柄については、「確実な認識」の内容について語るのと同じようには語るのはとうてい許されないと考えるのである。霊的なものに対する人間の関係は「主観的な感情」に全面的に委ねるべきだというのが彼の立場である。
こうした考え方を心の中で検討するうち、神秘主義に反対する気持ちがいよいよ強まってきた。魂の経験として霊的なものを直観することは、私にとっては感覚的なものを知覚することよりもはるかに確実なことであった。この魂の経験に認識の限界を設定することは私には不可能であった。単なる感情の道を通ることによって霊的なものに至ろうする考えは、私は断固として拒否した。
それにもかかわらず、神秘家の経験が実際にどのようなものであるかに目を向けて見た時、霊界に対する私自身の立場と神秘家の経験の間には、かすかな類似が存在するのを感じた。すなわちそれは、私は霊に照らされた理念を媒介にして霊と共に在ろうとしたが、神秘家は理念を持たずにそうしようとした点である。それ故に私の直観は、「神秘的な」理念体験に基づいている、ということもできたであろう。
こうした心の葛藤を最終的に克服して明晰さを獲得するのにたいした困難はなかった。なぜなら、霊的なものを真に直観することによって、理念の有効範囲に光が投げかけられ、個人的なものに限界が設けられるからである。霊的なものを観察してみれば、魂の本性が霊界を直観する器官へと変化するとき、人間における個人的なものの活動がいかに停止してしまうか理解できよう。
しかしながら、私の直観を著作の中で述べる際、どのような表現方法を採るべきかという難問が生じてきた。読者にとって耳新しい考察を述べる場合、それに相応しい表現をすぐに見出すのは容易なことではない。私は自分の語ることを、自然研究の分野で通常用いられている形式で表現するか、それとも神秘主義的感性を持つ著作家たちによって用いられている形式で表現するか、この二者択一の前に立たされた。後者の道をとることによっては、私の直観している困難は除去されるとは思えなかった。
自然科学の分野で用いられる表現形式は、その内容は唯物論的に思考されたものであるにしろ、ともかく内容のある理念を含んでいる。自然科学の理念は感覚的に知覚可能なものを志向するが、この方法にならって、私は霊的なものを志向する理念を造り上げようとした。こうすることによって、私は私の叙述に理念的な性格を賦与することができた。神秘主義の表現方法によってはこのことは不可能であっただろう。なぜなら、神秘主義の表現方法は、人間の外部にある客観的実在を示そうとはせず、人間の主観的体験のみを記述するから。私が目指したのは、人間の体験を記述することではなく、霊の世界が、直観という霊的器官を通してどのように人間の裡に開示されるかを示すことであった。
後に私の『自由の哲学』の基になった理念は、以上のような基盤から形成されたのである。理念を通して開示されるものの究極の経験は、魂の内部においては、神秘家の内部直観と同種のものであるに違いないことは私にもわかっていた。しかし、私はこうした理念を形成する際に、神秘主義的な情緒を横行させることは決してしなかった。神秘家は自己の内面生活を強化し、かくすることによって客観的な霊の真の姿を消し去ってしまう。これに対して私の叙述においては、人間は自己を無にすることによって外部の霊界を己の裡で客観的な現象として出現させる。この点に神秘家と私の相違があったといえよう。”(ルドルフ・シュタイナー『シュタイナー自伝 わが人生の歩み Ⅰ』伊藤勉+中村康二訳 人智学出版社 p. 171~175)
ここでシュタイナーは、「理念」という言葉を繰り返し使っているが、「理念」はドイツ語では Idee/イデー である。由来は、プラトンの「イデア」にあるが、今さら、いわゆるイデア・ミームにはまって、文献学的なあれやこれやをやったところで、時間の無駄である。
私は、シュタイナーがここで多用する「理念」は、思考/思考体である、と読む。
神秘家たちが、感情/主観に拠り所を見出そうとするのに対して、シュタイナーは思考=霊/精神であると看破するのである。
正直に言えば、すべての神秘家が、思考の道をないがしろにしたとは私は思わないが、この文脈においては、シュタイナーの強調する思考の道とは何か、という点に最大限の注意をはらい、思考という精神活動の射程を、自ら思考することによって、見極めることが大切である。
また、シュタイナーの「現代の哲学は不健全なカント信仰に罹っている」という指摘は、現代の学問の世界のおけるなりふりかまわない科学信仰に対しても、そのまま当てはまる。徹底的な唯物主義である。カントの観念論/認識論に囚われ、(学問的な)人生を台なしにしてしまった多くのドイツ人がいる(はずだ)。いやいや、その後の思想史を概観してみても、この「不健全なカント信仰」に端を発する「恐るべき科学信仰」というアーリマン主義は、まさにペストのように、燎原の火のごとく、ひろがっているのである。もちろん、このアーリマン主義は徹底した唯物主義であり、人間の魂を死に至らしめる。しかも死につつある魂は、自らの死を自覚することもない。
科学者たちは、悟性魂ミームの中に留まり続け、神秘家たちは、科学者たちが囚われている悟性魂ミームの随伴者とも言える心情魂ミームへの依存度を深め、最悪の場合は狂気へと至る。
科学者たちは、カントの認識論の言うなれば末裔であり、結局のところ唯物論ミームの中をぐるぐる回り続ける。その探求の出だしから、霊/精神は問題にならず、彼らが見出すのは、最後まで物質のみである。
神秘家にとって、認識論というような思考の営みは、彼らの目指す霊/精神との神秘的合一に際しては、むしろ余計なもの、邪魔なものとみなされる。
シュタイナーにとっては、理念/思考体こそが、霊/精神に他ならなかった。
”・・・「思考が感覚的知覚を超える認識能力を所有していることを認める者は、必然的に、思考は単なる感覚的現実を超えて存在する対象を認識し得るということを承認せざるをえない。しかし、思考のこのような対象とは、理念に他ならない。思考は理念を捉えることによって世界の根源と融合する。外部で作用していたものが、人間の霊の中に入り込んでくる。人間の霊は客観的現実の根源と一体化する。現実の中に理念を見出すことは、人間の真の聖体拝領である。思考が理念に対して有する意味は、眼が光に対して、耳が音に対して有する意味と同一である。思考は捕捉機関なのである」。(キュルシュナー版『ドイツ国民文学叢書』中のゲーテ自然科学論文集のための序文。第二巻4ページ)
当時の私にとっては、感覚から自由な思考が自己の枠を超えて、霊的な観照へと歩みを進める時に生ずる霊界について述べることよりも、むしろ、感覚的見方によって得られた自然の本性は霊的なものであることを指摘することのほうが重要と思われた。自然は実は霊的なものであることを私は言いたかったのである。
こうなった理由は、運命の定めるところにより、私が当時の認識論と対決せざるをえなかったためである。当時の認識論は霊を欠いた自然を前提にしており、したがってその認識論の課題は、人間が自己の精神の中で自然の霊的な像を形成することがどの程度正当であるかを示すことにあった。これに対して、私はまったく別の認識論を対置しようとした。私が示そうとしたのは、思考活動によって人間は、あたかも自分が自然の外部にとどまっているかのように、自然についての像を形成するのではなく、認識は体験であり、それ故、人間は認識活動によって事物の本性の内部に立つ、ということである。”(ルドルフ・シュタイナー『シュタイナー自伝 わが人生の歩み Ⅰ』伊藤勉+中村康二訳 人智学出版社 p. 166,167)
この文章の中で、「現実の中に理念を見出すことは、人間の真の聖体拝領である。思考が理念に対して有する意味は、眼が光に対して、耳が音に対して有する意味と同一である。思考は捕捉機関なのである」とシュタイナーが述べるように、人間は、自らの思考によって、自然の中に働く神々の思考すなわち霊/精神を捉えるのである。
しかし、神秘家はそのように思考を働かせようとしないし、カント認識論の末裔たる自然科学者は、自然をどこまでも物質としかみなさない。自然が物質であるという大前提が揺らぐことは、科学にとっては命取りだと自然科学者は思い込んでいる。
神秘家にとっては、思考は論外である。
また、「当時の認識論は霊を欠いた自然を前提にしており」、これは、「自然は実は霊的なものであることを私は言いたかった」シュタイナーにとって、まったく認めることにできない態度だった。シュタイナーにとって、「思考は捕捉機関なのである」。人間は、思考によって理念を捉えるのである。
「理念を捉える思考」とはいかなるものか、シュタイナーの『自由の哲学』は、それを明らかにするために書かれた当時としてはおそらく唯一の著作であるという視点から、もう一度読み直してみたいと思った。おそらく今まで気づかなかったことが書かれているに違いない。