特に、親元から離れ、熊本市の古い長屋のような間借りで一人暮らしをし始めた大学生時代は、低次の自我の泥沼のような、ミームとの絶え間ない闘いの時期だった。元号はまだ昭和で、裕仁(ひろひと)はまだ元気だった。優しい大家さんが、「私、城山三郎を読んでいるのよ」と言って、暗に「読んでみたら」と勧めてくれた。社会派の日本の小説を読む気持ちにはなれなかったので、読まなかった。おぼっちゃん大学生の趣味ではない。私は、神秘主義に興味があるんだから。そう、ドイツ神秘主義だ。マイスター・エックハルト、ヤーコプ・ベーメ、・・・。エッゲベルトの『ドイツ神秘主義』という本は、その頃購入した。いや、もうちょっと前だったか。自分の体を鞭打って、村から村へと旅する鞭打ち行者のイメージが、怪しく気持ちが悪かった。「そんなことしなくてもなあ」と思った。ともあれ、この本で初めて「ウニオミスティカ」という言葉を知った。神秘的合一である。この概念について、きちんと説明するテキストを、当時は見つけることができなかった。
井筒俊彦の『イスラーム哲学の原像』は明解で読みやすく、刺激を受けた。その後、井筒の著作は他に何冊か購入したが、きちんと読むには至らなかった。おもしろそうだとは思いつつ。
この頃から、いわゆる精神世界ブーム、今風に言えば、スピリチュアルがブームになってきた。世界的に、旧来の社会的・政治的枠組みが立ち行かなくなって、オルターナティブとか第三の道とかいう流れが起こってきた。ラジニーシ、トランスパーソナル心理学(ケン・ウィルバーなど)、クリシュナムルティなど、けっこうたくさん読んだ。子安美知子の『ミュンヘンの小学生』が、ベストセラーになり、エンデの『モモ』や『はてしない物語』がもてはやされて、シュタイナーという名前が、日本でも一般にかなり広く認知されるようになった。ただし、多くの場合、「シュタイナー教育」というつながりで。
大学の思想アカデミズム、教育アカデミズムの世界で、思想家としてのシュタイナーが取り上げられることはなかった。私が通っていた熊本大学のドイツ文学コースのドイツ人講師は、「シュタイナーは、Außenseiter/アウトサイダーだよ」と彼の生徒だった私に教えてくれた。暗に「のめり込まない方がいい」と言っているようなものだ。彼自身は、老子について論文めいたものを書いていたことを考えると、解せなかった。
ともあれ、その頃から、シュタイナーの翻訳がずいぶん出るようになり、それらが書店に並ぶたびに、即刻購入した。
低次の自我の泥沼、ミームの葛藤、まあ特に思春期に誰もが経験する人生の試練、etc. ・・・今思えば、私に他の道などなかったということは分かる。後悔はない。むしろ、それでよかったと感謝さえしたくなる。もちろん、あからさまに感謝するなど、気恥ずかしいからやめておくが。大学のドイツ文学の授業でやったゲーテの『イフィゲーニエ』の最後のセリフ ”Lebe wohl(良く生きよ)” は、いつまでも覚えている。まあ、それがすべてと言えば、まったくその通りなんだから、記憶に刻まれるのは当然と言えば当然だろう。さすがゲーテである。 そのようにすぐれた文学の言葉は、記憶に刻まれる。エーテル体に作用を及ぼすわけだ。つまり、それは純粋思考(の産物)なのである。そして、そのようにして純粋思考の産物であるすぐれた文学作品を読み、鑑賞し、了解するという行為そのものが、やはり純粋思考であるということに気づかなければならない。芸術の創造、そして芸術の鑑賞/享受、このどちらの営みも純粋思考の営みに他ならないのである。
さて、