有機体としての魂 ~ 『いかにして高次の世界を認識するか』(R.シュタイナー)を読む -(1) | 大分アントロポゾフィー研究会

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例えば、その日の夕飯の調理に集中する ~ concentration ~ すると、やがて、いわゆるテオーリア/theoria の境地に至る。恐るべき集中、的確な対象の観察・・・焦点化と鳥瞰(ちょうかん)とが同時に成立する。きわめて熱く、そして完全なまでに醒めている。

これが、純粋思考を成す人間に典型的な、魂の状態である。

人間が地上で成すあらゆる生活の営みにおいて、このことが可能である。

 

 

以下、ルドルフ・シュタイナー『いかにして高次の世界を認識するか』(松浦賢訳 柏書房)から、抜粋する。引用個所のページ番号は、それぞれ冒頭に置く。

 

133 「神秘学を学ぶ人は、完全な意識を保ったまま訓練を行わなくてはならない」ということが、真の神秘学の原則の一つです。神秘学の学徒は、それがどのような作用を及ぼすのか、ということを自分で認識していない事柄に関しては、どのようなことも行ったり、訓練したりしてはなりません。だからこそ神秘学の師は、学徒に助言したり、指示したりするときには、このような助言や指示に従うと高次の認識をめざす人間の体や魂や霊に何が生じるのか、ということについていつも同時に教えるようにするのです。

・・・ここで述べられるような事柄を知ることによって、私たちは初めて、完全な意識を保ったまま、超感覚的な世界の認識をめざす訓練に取り組むことができるようになります。そしてこのような人だけが、真の神秘学の学徒なのです。暗闇のなかを手探りで進んでいくような態度はすべて、真の神秘学の訓練においては厳しく禁じられています。目を見開いたまま訓練を行おうとしない人は、霊媒にはなれるかもしれませんが、神秘学的な意味における霊視者/Hellseher になることはできないのです。

 

134 魂の発達において先に進めば進むほど、私たちの魂の有機体はいっそう一定の規則に従って組織されるようになります。

 

134,135 霊視者は、以下のような器官を、それぞれに対応する物質体の部位の近くに、霊的に知覚することができます。すなわち第一の器官は両目のあいだにあり、第二の器官は喉頭の近くにあり、第三の器官は心臓の付近にあり、第四の器官はみぞおちの近くにあり、第五と第六の器官は下半身にあります。神秘学に精通している人びとはこれらを、「車輪/チャクラ/Chakram」あるいは「蓮華/Lotusblume」と呼んでいます。・・・まだ発達を遂げていない人間の場合には、これらの「蓮華」は暗い色を帯びており、静止したまま動きません。しかし霊視者の場合には、蓮華は活動し、光輝くような色彩のニュアンスを帯びています。・・・

 

135 神秘学の学徒が訓練を始めると、最初に蓮華が明るく澄んできます。そのあと蓮華は回転し始めます。蓮華が回転するようになると、霊視能力が生まれます。というのもこの「蓮華」は、魂の感覚器官だからです。蓮華が回転するのは、その人が超感覚的なもののなかで知覚していることの現れです。アストラル的な感覚がこのようにして育成されるまでは、私たちは超感覚的なものを見ることはできません。

 

135,136 人間は喉頭の近くにある霊的な感覚器官をとおして、ほかの魂的な存在の思考の種類を霊視することができるようになります。また人間はこの感覚器官をもちいて、自然現象の真の法則をより深く洞察することができるようになります。

心臓の近くにある器官は、ほかの魂の心的態度を霊視的に認識させてくれます。この器官を形成した人はさらに、動物や植物の、より深い力を認識することもできるようになります。

人間はみぞおちの近くの霊的な感覚器官をとおして、魂の能力や資質を認識します。また人間はこの感覚器官をもちいて、動物や植物や鉱物や金属や大気の現象などが自然全体のなかでどのような役割をはたしているのか、ということも認識します。