人間がこの世界に誕生して以来ずっと、悪魔は人間を誘惑し続けてきた。
それにいかに対峙するのかというのが、人間にとって創世以来の大きなテーマである。
”・・・
メフィストーフェレス ・・・ひょっとしてあなた(ファウスト)が私と組んで、世の中を歩いてみようとお考えなら、わたしは即刻あなたの御家来になりますよ、よろこんでそうします。わたしを御家来にしてごらんなさい。結構お役に立ちますぜ。仰せのままになんでも致しましょうとも。
ファウスト その代り己(おれ)はどうすればいいのだ。
メフィストーフェレス それはまたあとあとのことでいいのです。
ファウスト いやそれではいけない、悪魔は利己主義者で、悪魔のただほど高いものはないはずだ。・・・はっきりと条件を出すがいい。・・・
メフィストーフェレス そんなら、この世ではあなたにお仕え申して、何事も仰せの如く立ちはたらきましょう。けれども、あの世でお会いしたら、こんどはあなたがわたしの家来になる、というのではいかがです。
ファウスト あの世のことは己にはどうでもいい。・・・己の喜びが湧き出るのは、この世のこの大地からだ。己の苦しみを照らすのは、この世の太陽なのだ。己が死んでしまったそのあとのことは、どうであろうと一向に構わぬ。・・・
メフィストーフェレス そういうお考えなら、どうです、手を打ちませんか。ご契約なさいませんか、あなたがこの世にある限りは、わたしの術でたんと面白い目を見せて差上げます。まだ人間が見たこともないような面白いものをね。
・・・
ファウスト もし己がのんびりと寝そべっていたいなどと思うようだったら、その時は己ももうおしまいだ。君(メフィストーフェレス)にしてもしこの己に取入って己がもうこれで満足というように持って行けたら、己を快楽でたぶらかしだましおおせたなら-その時は己の負けだ。どうだ、賭けるか。
メフィストーフェレス 賭けましょう。
ファウスト 間違いあるまいな。己がある刹那に向って、「とまれ、お前は本当に美しい」といったら、己はお前に存分に料理されていい。己はよろこんで滅んで行く。そうしたら葬式の鐘が鳴るがいい、その時は君の奉公も終るのだ。・・・
・・・
ファウスト ・・・めくるめくような想いがしてみたいのだ。死なんばかりの快楽、恋から出た憎しみ、胸のすくような立腹など。知識欲とは縁を切った己の胸は、今後どんな苦痛をも避けぬつもりだ。己は自分の心で、全人類に課せられたものをじっくりと味わってみたい。自分の精神で、最高最深のものをつかんでみたい。人類の幸福と苦悩とを己の胸で受けとめてみたい。そして己の心を人類の心にまで拡大し、最後には人類同様、己も滅んで行こうと思うのだ。
・・・”(ゲーテ『ファウスト 第一部』~「書斎」 高橋義孝訳 新潮文庫)
思考の営みに特徴的な、それこそ死霊的なアーリマン性に倦み疲れ、息も絶え絶えになってしまったファウストは、メフィストフェレスの力を借りて、めくるめくルシファー的幻想と快楽の世界を体験しようとしている。いずれにしても狂気の沙汰だ。
メフィストフェレスがファウスト自身のドッペルゲンガーのような存在だとしても、ファウスト自身の低次の自我/第二の自我としてのイメージ体の覆いを突破するために、自身のドッペルゲンガー(イメージ体である)の力を借りようとするなど、あり得ない。
”・・・
ファウスト 名はなんというのか。
メフィストーフェレス 言葉というものをひどく軽蔑なさって、一切の仮幻のものから遠ざかられ、事物の奥底へ突き進もうとなさっておられる先生のお尋ねとしては、ちと愚なご質問ですな。
ファウスト 君らの場合、名さえ聴けば、その本体は、わかりすぎるほどよくわかるではないか。まあ、いい。君は一体何者なのだ。
メフィストーフェレス 常に悪を欲し、常に善をなす、あの力の一部分です。
ファウスト その謎めいた言葉の意味は。
メフィストーフェレス 私は常に否定する霊です。それも道理に叶っておりましょう、なぜなら、生まれるということは、消え失せるということなのですからね。だから、何も生まれてこない方がいいわけでしょう。という次第で、あなた方が罪だの破壊だの、要するに悪と呼んでおられるものは、みなわたしの領分内のことなのです。
ファウスト 君は自分を部分だといっているのに、一個の全体として己の前に立っているではないか。
メフィストーフェレス あり態を申しただけなのです。人間というおろかな小宇宙も、大概自分自身を一個の全体だと思い込んでいますがね-わたしは、最初すべてであったものの一部、つまり、あの光を生んだ闇の一部なのです。・・・”(ゲーテ『ファウスト 第一部』~「書斎」 高橋義孝訳 新潮文庫)
メフィストフェレス自身語っているように、彼は「常に否定する霊」「最初すべてであったものの一部」「あの光を生んだ闇の一部」。しかし、闇が光を生んだのであったか?逆ではないのか?
「常に否定する霊」であれば、自らの言明もやはり否定するということになるのではないか?つまり、メフィストは「常に否定する霊」ではない。だから、メフィストは「常に否定」はしない。さらに、メフィストは「常に否定しない」ということはない。・・・ ~ ∞
無限に否定が続くわけだ。あたかも否定神学の論法のように。
否定神学の弁証法では、どこかの時点で飛躍/アウフヘーベンが起こって、無が有に転じるが、メフィストのやり方では、永遠に無のままである。ぐるっと回って元に戻る。またぐるっと回って元に戻る。・・・どこまでもどこまでも不毛な永劫回帰(えいごうかいき)である。
そのような虚無主義の権化であるメフィストフェレスに、なぜファウストは・・・
ファウストは、もはやアーリマンとしてのメフィストフェレスを当てにしない。だが、ルシファーとしてのメフィストフェレスに望みをかけている。情念とファンタジーの神であるルシファーに最後の望みをかけているというわけだ。
そして、ルシファーが人間の魂の内に構築する驚くべきイメージ体の魔力に期待を募らせているのである。
ルシファー/メフィストフェレスがファウストの魂の空間に作り上げる恐るべきイメージ体は、いずれにしても、ファウスト自身の低次の自我/第二の自我/ドッペルゲンガーであることに変わりはない。
cf.エドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』は、ドッペルゲンガーについての特徴的な(しかし、もしかすると誤解を生む恐れもある)イメージを提供してくれると思う。
いずれにしても、ドッペルゲンガーとしてのイメージ体は、アーリマン原理を基礎にして、ルシファー衝動に端を発する無数のイメージを素材にして組み立てられた文脈イメージ(の集合体)である。
そのような意味では、マルクス主義の”下部構造/上部構造”という図式は、”アーリマン/ルシファー”の反映のようにも見え、資本主義という得体の知れないモンスターの姿を簡明に示すのにうってつけと言えるかもしれない。実際、みんなそんなふうに感じて日々生活しているわけだし。まさしく現代という時代の空気なんだ。あって当たり前の世界。そんな空気をみんなスーハーしているというわけだ。
だが、あろうことかみんな忘れている。ファウストでさえ、なぜか忘れているように見える。
私たち人間というものは、たしかに鉱物界に由来するかに見える物質体/肉体を持つが、この世に誕生する前は、霊界/精神界にあって、そこは”下部構造/上部構造”という文脈イメージとは無縁であるということを。
私たちの本来の故郷は、神々の世界である。そこで私たちは、霊的ヒエラルキア存在たちと共に生きていた。実のところ、私たちに与えられた(貸し与えられた)この肉体も、神々の創造物に他ならない。そのぐらいの直観は、本当は誰もが持ち合わせている。
だが、忘れているのだ。だから、思い出せばよいのである。
なぜ、忘れるのか。どうして思い出せないのか。
それは、私たちがこの地上の世界に誕生するや、鉱物界の王アーリマンと情念の神ルシファーの圧倒的な影響のもと、この世界を生きなければならなくなるからである。
私たちの本来の自我/霊的自我の前に、アーリマン/ルシファーの支配下にある低次の自我/第二の自我/イメージ体が立ちふさがる。
そして、暴走する資本主義の嵐の中を生きる現代のファウストは、今や眼前に、驚くべき魔術的幻影を見ているのである。
・・・めくるめくような想いがしてみたいのだ。死なんばかりの快楽、恋から出た憎しみ、胸のすくような立腹など。知識欲とは縁を切った己の胸は、今後どんな苦痛をも避けぬつもりだ。己は自分の心で、全人類に課せられたものをじっくりと味わってみたい。自分の精神で、最高最深のものをつかんでみたい。人類の幸福と苦悩とを己の胸で受けとめてみたい。そして己の心を人類の心にまで拡大し、最後には人類同様、己も滅んで行こうと思うのだ。・・・”(ゲーテ『ファウスト 第一部』~「書斎」 高橋義孝訳 新潮文庫)