文脈イメージ如何(いかん)で、個々の感覚的イメージ、言語的イメージの様相が変化する。
これこそ、文脈イメージの持つ魔術的力であり、魔術的観念論(ノヴァーリス Novalis)の肝(きも)である。
この地上の世界を生きながら、人はいかにして自らの故郷(霊界/精神界)を知るか?
自らの運命/カルマと遭遇することによって、知るのである。
それは一度の人生で、一回限りの出来事ではあり得ない。
人間の魂が、様々な人生経験を経て、あるいはカルマ的に浄化され、聖霊を受け容れることができるまでに至ると、その魂は聖母マリアの魂のようになる。
聖母マリアは、そのような清らかな魂の”典型”である。
”典型”は、ゲーテの語った”原型”であり、単なるイメージではない。
つまりここでは、”典型”は、もはや、仮象/フィクションでは既になく、しかしかと言って、霊的存在そのものでもない。
霊界/精神界とこの地上の世界との中間に(境界に)、魂/アニマとして、顕現(けんげん)/出現している。
かつて聖処女マリア(アニマ)は、聖霊(ロゴス)を受け容れ(受胎し)、神の子を身籠った(みごもった)。
この出来事こそが、人間の魂/アニマの原風景である。
魂/アニマの基本的性質は、受動性にある。
魂/アニマは、すべての他者を受け容れようとする。