人が一人で荒野へと赴き、そこに何日も留まっていると、やがてその人の魂に通常とは異なる状態が現れ始める。
生き延びるための必然から、魂の内に、それまでのその人の人生におけるのとは比較にならぬほどの、いわば過剰な純粋思考が呼び覚まされるようになってくるのである。
これは、魂のエマージェンシー/例外的な状態であり、「狂気」とも「聖霊降臨」とも呼ぶことができるものだ。
多くの人は、このような状態にどう対処してよいかわからず、「狂気」から抜け出ることができない。
例えば、洗礼者ヨハネは、そのような「狂気」から彼が抜け出たか否かは今は問わないことにするが、荒野から戻ってきて、多くの人々に水による洗礼を施し始めた。キリスト・イエスもまた、彼の洗礼を受けたのである。
「洗礼」とは何か?
それは「聖霊降臨」という出来事を、いわば儀式的に”再現”することに他ならない。
洗礼者ヨハネ自身は、「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、わたしの後から来る方は、…精霊と火であなたたちに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。」(マタイ伝第3章)と語っている。「わたしの後から来る方」とは、もちろんキリスト・イエスのことである。