大概念を発見しようとするならば、聖書を始めとする世界の古典を紐解くのがよい。
大概念の発見には、種々の強烈な感情が伴う。
だから、それら世界の古典のテキストを読んでいると、ある種類型的でありながら、同時に繊細かつ強烈な感情の表現に、種々出会うことになる。
それらの感情表現を節目にして、大概念が現れる。そのように読むべきである。
現代人は、それらの古典的感情表現や大概念に極めて疎くなってしまった。
強烈な疎外状況に、私たちは置かれているのである。
必要以上に、人の目を気にする日常を、病的に生きている。
多くの人は、このような現代人の悲惨な現実を、薄々とは感じて、別の生き方を模索しつつあるように見える。
私は、このような模索を繰り返す中で、「他者」の存在に気づいた。
そして、ようやく見出した「他者」の実態/実相を解き明かそうと、今、努力している。