2023.8.3-4 ST | 大分アントロポゾフィー研究会

大分アントロポゾフィー研究会

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躁状態は共感の嵐である。

共感の嵐の直中において人はダジャレの発見者となる。

ダジャレの連鎖はオソルベク巨大な共感の充満によって惹き起こされる。

 

魂の内に共感が充満してくると

自分の思いにピタッと通ずるように感じられる本が

たくさんたくさん

運命の糸に導かれるように見つかるようになってくる。

ふと立ち寄った街中の本屋でも、

いつもつい見てしまうアマゾンのホームページにも。

そのようにして発見し、速攻(ソッコー)買いまくってしまった本が

わたしの家にはかなり(山のように)あり、

それをファミリーの共有スペースへの侵略のように感じてしまうらしい妻の(からの)強烈な非難の対象となっている。

他者への圧倒的な共感の産物が、

そのように邪魔者扱いされてしまうのだから

もはや運命のアイロニー(皮肉)というしかないだろう。

 

魂の内に共感が充満してくると

そのようなルシファー的雰囲気が高まってくると

わたしはこれももはや山岳地帯を形成するようになってしまった

さまざまな音楽ジャンル(クラシックが多い)のCDのかずある頂(いただき)の中から

あれもこれもと

一度に聴きたくなってくる。

そしてそれらを一枚一枚中古のCDプレーヤーのトレイにセットし聴きはじめると

そのメロディ~和声(コード、コード進行)~リズム~の調和の世界(ハルモニア)に酔いしれるのである。
近所迷惑にならないように音量を調節しているつもりなのだが

ときどきやはり妻から「おとがおおきい」と指摘されてしまう。

このあたりの兼ね合いがなかなかむずかしい。

これらの山岳地帯も

言うまでもないことだが

妻からの非難の対象となっている。

でもこどもたちから叱られるようなことはこれまでいっかいもなかった。

まごたちはまだこれらのやまやまのそんざいにきづいていないようにみうけられる。

 

魂の内に共感が充満してくると

なぜか世界や生活の思いもかけない細部に目が向くようになり

普段は気づかなかっためずらしいものを発見するということが

頻繁(ひんぱん)に起こってくる。

それらの細部が自然や宇宙と共鳴し合っていることを確信・了解するようになり

たとえば

夏のある晴れた朝早く雨戸をあけにスリッパをはいて庭に出たときに

一匹の小さなかわいらしい甲虫(だいたいその名称などわかるわけない)が飛んできて半そでのわたしのむきだしの二の腕に着陸する。

六本の細長い可愛らしい足をなんだかキソクテキニ蠢かせて(うごめかせて)わたしの腕の表面を行ったり来たりしていたかと思うと

急にやわらかく立ち止まってしばらくじーっとしている。

思わず知らずじーっと見ていると

やがて不思議な形をした鞘翅(しょうし、さやばね)をひろげ

つぎにその下にあるトンボの翅(はね)のような構造の透きとおった翅がひろがってきて

飛び立つ。

その虫がゆっくりとやさしい軌跡をえがきながら田舎の夏の青空の中へ飛んでいくのを目で追いかける ~ … …

わたしのまわりには夏のみどりいろの色濃いつつみこむようなちいさな森の静けさが澄明にひろがっている。

ほんとうにやさしくしずかだ。

わたしはそのとき宇宙のハルモニアをからだとたましいのぜんたいでかんじているのである。

 

全体とのつながりの中にある細部をいちいち感じるようになると

だれもがおなじようにそのことを感じているはずだ

という極めて主観的な身勝手な思い込みが同時に生じてくるのをさけることはできない。

そのような主観的な思い込み(感情)をよりどころにした

他者へのほとんど絶対的とも言えるような信頼の感情(共感)が生じてくる ~ みんなやっぱりともだちなんだ('ω')

他者がほんとうにおなじように感じているなら何の問題もないどころか

いまだかつてこの地球上に存在したことのない世界平和がおとずれることだろう。

 

だが現実はちがうのだ。

わたしのような宇宙ハルモニア主義者(神秘主義者)同士であれば

共感の充満の雰囲気の中でつながりあえる可能性はのこされているが、

気質の衝突や考えの違いでただでさえ対立ばかりの世の中で

神秘主義者と現実主義者が相互に理解し合えると考えることほど

空想的なことはない。

 

現実主義者たちは神秘主義者を邪魔者扱いし軽蔑し

非科学的だと罵り(ののしり)アウトサイダーだと非難し

変態に違いないと結論を下して

心の底では自分の目の前にいるグルめいた男(神秘主義者)のことを恐れているのだが

自分たちの方が正しいと信じ切っているので権力(警察・司法)に通報するに違いない。

 

一方もともと共感に充ち溢れかえっている神秘主義者の方はと言えば

現実主義者たちと共感し合えないことに深く落胆して

邪魔者扱いされ軽蔑され非科学的だと罵られ

よそものめー変態めーと

完全に侮辱されている

無情な現実を前にして痛いほど傷つけられ

絶望したり、卑屈になったり、弱腰になったり、泣いたり、後悔したりといったネガティヴな魂の状態(否定的な感情の連動)に追いやられてしまう。

かれは(わたしは)楽観的すぎたのだ。

 

さて神秘主義者のかれは(わたしは)

この地獄の深淵のような

いじめの状況から

いかにしてたちなおれば(復活を遂げれば)いいだろうか。

かれ(わたし)の魂は深く傷ついている。

そしてかれの(わたしの)魂の内には必ずや

敵対した現実主義者たちに対する強い恨み(うらみ)と反感が巣くっているに違いないのである。

・・・

かなり時間がたってから

神秘主義者のかれ(わたし)は

深い絶望の中で

奇妙な夢の中で

ある幻を見るかもしれない。

現実主義(者)が怪獣・妖怪の姿をとって自分の前に現れる。その強烈さを目の当たりにしてかれ(わたし)は目を背けようとするができない。この世のものとはおもわれない霊光を発しているのだソイツは。カラダガカタマッテウゴカナイ~わたしがなにかわるいことでもしたのか~きがくるう(狂気)~いきがくるしい(窒息)~ ホーニブンホーニブンホーニブン/タルデジタルデジタルデジ/マンアーリマンアーリマンアーリ・・・///・・・/// /// /// ///

hutowarenikaeru kizuitara yogaaketeiru …

夢から覚める(本当の覚醒だ)。

そして夢をふりかえりなんとなく・・・あのモンスターはナニモノ?・・・

・・・そうかそうだったのか アイツはオレオレだったんだ ・・・ このへんはあまり悟性的な説明をしない方がいいに決まっている。

いずれにしてもかれとわたしはラッキーだったのである。死ななくてすんだのだから。

 

***

 

♪ Franz Liszt: Dante Symphony S.109/R.426 / Orchester Wiener Akademie, Martin Haselböck

 

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ 『海辺の僧侶』(1808-1810