いじめは、加害者の側の無自覚な自己疎外をきっかけにして始まる。
いじめは、まず 低次の自我の自己防衛機制の発動という文脈で理解すべき事象である。
だから、原理的に言えば、いじめはその関係者の中に、誰か”突き抜けた”人物なり、そのような何らかの別の存在がいなければ、解決の糸口を見出すことはできない。
”突き抜けた”存在が不在の状況においては、第三者つまり外部の力を導入することによってしか、いじめの進行を食い止めることはできない。しかし、この場合、問題の本質的な解決にまで至る可能性は、ほとんどないと言っていい。対症療法に留まるからである。
”突き抜けた”人物は、自らの低次の自我の自己疎外の状況を、内的な平静という魂の態度で、いわば客観的に観察できるようになった存在である。
そのような人物の特徴として第一に挙げるべきは、言動にせっかちなところがなく、落ち着いており、物事に動じないということである。