自らの感覚的地上的な個体性を相対化すること。
この個体性こそ、ペルソナであり、シャドーを生み出す張本人だ。
ペルソナになりきり、シャドーと戯れ、ひとり相撲をして、エゴイズムの海を漂流する。
エゴイズムは、創世記に出てくるカインの物語に象徴されるような情念の諸々と切り離して考えることはできない。
神話的な淵源は、優れてカインにある。
そして、過去に勃興し、多くの人々を束ねたいくつもの民族国家が、同様の民族の物語/神話を編んでいたのである。
そして、そのような共同体に属するすべての家族が、民族の物語/神話に沿った形で、それぞれの家族の物語を継承し続けた。
そのような共同体の物語/ミームの中で、個人は所属するそれぞれの共同体において規定のペルソナとなるべく、教育され、その線に沿って成長したのである。
だから、エゴイズムはミームとは切っても切れない関係にあるのだ。共同体のミームの中で抜かりなく立ち居振る舞うことで、そのような経験を重ねることによって、ペルソナ/エゴは強大になる。
さて、民族国家のような共同体の神話/物語/ミームは、それに所属する個々の人間が恣意的にこしらえるのではない。
それは、アルカイやアルヒアンゲンロイのような霊的ヒエラルキア存在たちが、共同体のメンバーである人間のためにもたらす。
そこに一人一人の人間の個別の意志も思考も感情も関与してはいない。
霊的ヒエラルキア存在たちは、共同体のメンバーの生活上の便宜と共同体の維持のために、ミームを提示するのだ。
そして、その共同体のメンバーは、ミームのアルゴリズムに従って、日々の生活を営む。
しかし、そのような予定調和の世界にいつまでもぬくぬくと浸かっていることはできない。
すでに、エヴァがルシファーによって誘惑され、アダムとの子であるカインは、それによって呪われていたのだ。彼は情念の嵐に翻弄され、エゴイズムの沼に沈んだのである。
つまり、カインというペルソナ/シャドーの呪いは、人類の歴史から消し去られることはなく、その勢いはむしろ強まっているのである。