昨日の記事、町家ツアーのつづきです。
「うだつの上がらない」という言葉がありますね。
「うだつ」ってなにかといいますと
この家の端から飛び出ているものが「うだつ」。
そもそも隣から火が出た時に、延焼しないようにする防火壁の役割なんですが
費用も高いので、時代が下がってくると、商家の見栄の象徴となっていきました。
ここから「地位や生活が向上しない」ということを
「うだつが上がらない」と言うようになったそうです。
そしてこの「うだつ」があがっているおウチは・・・
徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院さまのご実家だそうです。
(私の中で桂昌院さまは江波杏子さんです。by大奥~華の乱~)
町人の娘から家光の即室として大奥に上がる時に、
ココから輿に乗って向かわれ、桂昌院の幼名が「玉」といったことから
「玉の輿」と言う言葉ができたとか・・・(諸説あり)
また、間口が狭い町家が多い中、とても間口が広いこの町家。
江戸時代、間口に対して税金がかかった事から、間口が狭く奥が深い
「うなぎの寝床」と言われる町家が多いわけなのです。
「うだつ」といい、間口の広さと言い、桂昌院さまのご実家は裕福だったと
いうことでしょうか・・・。