言葉。
人と人とが関わる際、自分の思い、感情、意思を伝えあう際に用いる音声や文字のこと。

そう。
当たり前に日常に溢れている「言葉」
今日は、ちょっとした言葉がテーマのお話。



習い事・・・

合気道の稽古中にあった何気ない一言。

確か・・・

「私の級なら、できて当然」

というような一言だったと思う。



相手の真意は分からない。

これまでの関係性を思うと・・・
その言葉には、認めてくれている面、励ましてくれる気持ちがあったのかもしれない。

ただ、その時の私の心とは、果てしなく距離がある言葉だった。

取り繕えないほどの状態になったのは、本当に久しぶりだった。
自分でも、なぜこんなに感情に飲み込まれているのか分からなかった。

稽古が終わって、お友達にやさしくしてもらって、少しだけ泣けた。

がまんしていたのだろうな。色々と。きっと泣くことも。



「私の級なら、できて当然」

この言葉は、私としては受け入れられるものではなかった。出来て当然と思えなかった。

試行錯誤の最初の「し」すら分からない状態で、あれこれやっている時に、この言葉を聞いて。

「自分は出来て当然のことを出来ていない」というような認識をした・・・のだと思う。

その出来事がどうだったか、もう定かではない。
心の水底では、観測できない濁流が激しく暴れてるのを感じる。
けれど、水面は何かが蓋をしているような凪。
すべてはもう、そのさなかに埋もれてしまっていた。



言えばいい、はず。
でも、言えない。

本音を言う。意見を言う。
これが、ものすごく苦手だ。人がいること自体が苦手。身構えてしまう。

思い当たる節は色々ある。
主に、これまでの人生環境で。
平気なフリが得意で、SOSを出すのが苦手で、限界まで動いてしまうこととか。

あとは、ここ数日メンタルが底の底まで落ちていたこともある。
それで、いつも以上に響いてしまったということもあるだろう。

だからこそ思う。
今回の出来事は、ダムが決壊するきっかけでしかないよなぁ・・・と。
それまでに色々あったからねぇ。色々と。



まぁ、人と接することが辛いのだ。
多大な「ガマン」が伴っている。
内に押し留めるも限界。吐き出すのも極度に苦手。

とはいえ、そこそこ癒えては来ているのだろうね。そこはそうは思う。
しっかり休み、安全な状態が維持されているのであれば、元気なものだし。
冷静な頭であれば、今回の出来事に理解が及ぶ程度ではあるのだし。

そう。
どうすべきかも見えているのだ。



まず、今に意識を向けること。
過去は過去。どうにもできないものだから。
感情がぶれるということは、意識が過去に引っ張られているということ。
だから、出来るだけ、今の自分へ戻そうとする。
それで十分。

そして、どの選択肢を選んでもいい。
感情がぶれるということは、何かしらのこうあらねばいけない、という思いがある。特に今回は、非常に強くこの思いが働いている。

ということで、大事なことは、意識を今の自分にできるだけ戻すこと。

・私は出来事を観測している
・私は自分なりに選択をしている

今は、これで十分。

どうすればいいかは今気にすることではない。
自分に軸が戻ってきた後の話。

そんなところでしょう。



そうそう。
あとは、おいしいものを食べて、しっかり睡眠をとる。
これも大事だわね。心と身体は繋がっているから。

そういえば、昨日はちょっと睡眠時間短かったんだっけ・・・
よし、今日こそは早めに寝ましょう。