久々に完璧主義が起動して落ち着かなかった〜
折角なので完璧主義の構造について改めて検証してみた
今回のパターンは
おひとり様の至福に慣れた私が
久しぶりに集団で何かやる事になった時に起きたケース
最初は楽しかったはずのことが
いつのまにかプレッシャーに変わって行く過程で
誰か(特定の人ではない架空の人物)の目を意識して、
迷惑かけない様に
足を引っ張らない様に
ちゃんとしなきゃ‼️が無意識に発動してしまった
そして
ちゃんとしようとしてちゃんと練習して
ちゃんと練習しても思うように出来なくて
自信なくして…
そもそもなんでこんな事させられるんだ💢
って思うようになっていた
なんとなくこの数日
人の言葉にイライラしたり
訳もない孤独や寂しさがあったのは
この完璧主義が発動していたからだった
今そこに存在しない誰かの評価や責任を
勝手に背負って、
ちゃんとしなきゃ!ってなるときは
脳🧠が一人歩きしているときだ
特に前頭葉の社会性の分野がやたら活性化して
人の目、世間の目に意識が集中している
本来自分へ向かうベクトルが外向きになった意識で存在している
誰かの目を気にして
できるところを見せてカッコつけたい、
ちゃんとした人だと思われたい(評価されたい)
褒められたい!
という他人から高評価される私が素晴らしくて
出来なくて人の足引っ張る迷惑な私はダメという物差し📏を採用している状態だ
だから必死に1人レッスンして
出来ない自分に焦り、苛立ちを感じ
呑気にしている人に怒り💢を感じる
数年前まで完璧主義で生きてたころは
毎日何かに怒ってて、イライラして心休まる日がなかったなぁ(遠い目)
自分の魂と対話し繋がることで
人は人、自分は自分と多様性を容認し
競うことや評価から自由になれたつもりだった
いつでもホームポジションに戻れるから大丈夫!
って思っていたのに、
根深いな〜〜
アスリート系のスパルタ好きな私の魂の傾向もあるんだけどね
前頭葉は悪者ではなく
夢や希望を映し出す映写機として利用すればいい
映写機に地図やナビの役割まで持たせるから
浅はかな計算と、無謀な努力で悪戦苦闘を強いられる
それが今まで慣れ親しんだ生き方だったし
今も義務教育ではそれが行われている
だが、本来の地図は魂が持っている
ナビ(羅針盤)は感情の役割だ
それぞれの役割を適材適所に戻せば
人から見た苦労も本人には楽しさにしかならない
私は過去の癖で、折角の楽しい仲間との旅行を台無しにするところだった
イライラする孤独感や不快感が周囲の反応を使って教えたくれた
「折角の海外旅行だよ、楽しもうよ❣️」
その通りだーーー
そうしたら私の内なる声はこう言ってきた
「大丈夫‼️
なんとかなるから」
この言葉大好き💕
一瞬で気が楽になる魔法の言葉🧙♀️