「日本地図最後の空白域」 に挑んだ魂のドラマ、
CG、空撮なしの本物の映像、そして
「仕事とは、人生とは何か」という深いテーマも重なり、
公開を心待ちにした映画です。
予想にたがわず、そのスケール感に圧倒されました。
山と仕事に真摯に向き合う姿に、心を打たれました。

武道の精神に通じるような、測量の“所作”の凛々しさ。
相手を称える手旗の美しさ、礼儀正しさ。
利でも名誉でもなく、目指すは難攻不落の剱の頂。
これは正しく“雲上のサムライたちの物語”なのです。



名峰が、その時や場所により、様々な姿を見せるように、
「剱岳 点の記」はとても懐の深い映画です。
私は、この映画を4回観ましたが、観るたびに様々なことを
気付かせてくれるのです。
その感想の移り変わりを、記したいと思います。

[鑑賞:1回目の記]
とにかく観る側にも、体力、耐力がいる映画です。
そのほとんどが山、山、山… 自分が本当にそこにいて、
山登りをしているように思えてきます。
自然が美しく感じるのは最初だけで、段々と厳しさが
体にのしかかってくるかのようです。
猛吹雪の中では息苦しくなり、雪崩、落石、滑落のたびに、
ヒヤリ、ヒヤリ。そんな思いをして、ようやく登頂に成功。
ところが、感動のフィナーレが待っているかと思いきや、
その功績が全く認められない!

100年前に柴崎測量隊が行った 測量精度の高さは、
最新のGPS技術に引けをとらないものです。
が、その事にも触れられていない。
「誰かが行かねば、道は出来ない。」その名文句通りの
サクセスストーリーではなかったのか? 
命懸けの撮影、壮麗なる映像、渾身の全国宣伝活動。
その割りに、地味でどこか残念な終わり方ではないか?
第1回目の鑑賞は、決死の登山シーンと比べ、
エンディングに物足りなさを感じたのでした。


 (-ヴィヴァルディ:四季 「冬」より- 
   厳しい登山シーンと音楽が、絶妙にマッチしていました。)

[鑑賞:2回目の記]
2回目で単純なサクセスストーリーとは違う、より深いもの-
この物語の本当の主人公は、それを支えた人々だと
気づいたのです。
行者の智慧をヒントに登頂に成功し、行者の死を知り、
仕事を成し遂げる事を決意する。
まさにこの行者こそ、剱岳の陰の主役です。
千年以上前に、登山道具もなく、自然と一体となって山を
目指した修験者たち。それは大自然からの使者といえます。
また、それを気づかせたのは、家族や友人、仲間たちの
熱い想い
なのです。
人々の想いは大自然と繋がっている
この映画の根底にあるのはそれだと感じました。
だから登頂成功で万々歳など、小さい事だと気づきました。
「あなた達は、かけがえの無い仲間です」
「これは地図作りを支え続けた、家族たちの記録でもある」

映画を締めくくるこの二つの言葉に、深く胸を打たれました。

[鑑賞:3回目の記]
この映画は、登頂後のドラマにこそ真の意味がある
そう感じました。
「誰かが行かねば道は出来ない」 けれど、
「道は出来ても、なかなか認められない」
それが現実に多いのです。
「道が出来てからが、本当の仕事」なのです。
報われるとは限らない、だからこそ名誉でも利でもなく、
仕事に誇りを持って、挑み続ける姿が尊いのです。


初登頂の栄誉ならず、涙雨…。
けれど、行者の恩に報いるためにも、測量を遂行する。
そして、手旗で互いの栄誉を称え合うラストシーン。
ここは登山シーン以上の感動を覚えました。
測量を成し遂げたことで、剱岳は真に開山された。
多くの人々に開かれた山となった。

柴崎測量隊の功績をそう讃えた、見事なエンディングだと
改めて思いました。
「剱岳 点の記」を、単純なサクセスストーリーでなく、
敗者復活の再生ストーリーとしたところが、真に
素晴らしい
と感じたのです。
               *
ここまで3回観て、大体この映画を理解したつもりでしたが、
木村大作監督が、舞台挨拶にお見えになるということで、
4回目を観ることになりました。
そこでまた新たな発見があったのです。次回、乞う期待。

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