宮崎県都城市・乙房こども園。

 

保護者55名参加、100%雨予報もひっくり返す「やる気」で、初日ワークを終えました。

(ワークは2日間)

 

【午後4時の終了時】

 

園としては荒天を想定していたので(晴れ男と自認している私も実は諦めていた)、まさかの好天(たまにスコールあり)で展開は好転。器械体操が得意なら後転したかったところですが、とにもかくにも予想以上に外での作業ははかどりました。

 

【存分に園庭で遊んだ後、おやじたちの様子を見守る子】

 

子どもとおとなの「心地よい」距離感

今回の作業で特に感じたのが、おとなと子どもの距離感です。

乙房では、カラーコーンなどを置いて、「ここから入らないでね」というような規制線を張りません。

これ、状況は様々ですので、「張ってはいけない」ということではないのですが、乙房では特に必要としない印象でした。

もし、危ないなと感じたらその都度その都度その子に声掛けをすればいい、ということで、ほとんどの子が、おとなの作業の邪魔になるような距離には近づかず、そして、その作業を一緒にやりたい思いも抱いているようでした。作業を一緒にしないにしても、おとなたちの近くにいて(自身で測った安全距離を確保して)、おとなたちを感じながら何かをしています。

この様子に、私自身の子ども時代のおとなと子どもの距離感を思い出したのでした。

 

【常に誰かしらおとなの作業の近くにいる】

 

社会やその社会を漂(ただよ)う空気感はどんどん変わっていき、そこを「泳ぐ」人間もそこで現わす姿を変えているようにも見えますが、実は、本質的にはなにも変わっていないのではないか、と改めて思える場でした。

乙房を漂う空気感は「共存」。
妙に気を遣い合わない「共生」。

よりふさわしい言葉が見つかれば置き換えます。

 

子どもにとってもおとなにとっても心地よい、無理をしない距離感。

これは楽です。付かず離れず、という感じです。双方が相手を大事にしている。

 

 

【第2園庭にある台所。都城名物「がね」を揚げていました】

 

それがよく分かったのが夜のご苦労さん会。

 

 

盛り上がるおとなたちの傍らで傘の花が咲いています(⇩のところ)。

拡大すると。。

 

 

下に段ボールを敷いて、座っています。

何人もいて、ここで楽しいおしゃべりをしています。

おとなたちが楽しんでいる。ぼくらも楽しんでいる。

 

過度に依存しあわず、まさにいい感じの距離感を維持しつつ心地よい時間を過ごしています。

 

 

やっぱり大事にしたい「3つの間」

ところで、昔から言われている3つの間。

時間・空間・仲間。

これは、いつも保障されている必要があります。

遊びだけでなく、食べるときも寝る時も。

 

食べるときは、

①食べるタイミングと、食べることに掛けられる時間

②食べる場所(空間)

③食べる仲間(一人も含む)

 

寝るときは、

①寝るタイミングと寝る時間の長さ

②寝る場所

③寝る仲間(一人を含む)

 

なかなか選べていない項目もあると思います。

しかし、おとなになって、社会の荒波の中で生きていく時、

これら3つをしっかりと選んで自分の心地よさを確保できるかというのは、ものすごく重要なことだと思うのです。

 

だから、子どものころから、自分の気持ちと対話しながら、選ぶことを繰り返していく経験を無数に積み重ねていく必要があるとわたしは思います。

 

乙房は、この3つの間をより大事にしようとしている場だなと感じました。

どうでしょう?

 

 

おわり。