洗い場で食器の後片付けをしていたら、今日サラダに使ったレタスについていたナメクジが、流水にのってなすすべもなく排水溝へとながれていった。仲間の悪戯によって塩を振られて小さくなったその生物が、下水道で新しい生活をはじめられるといいなと、ぼんやりした頭で思った。家事に始まり家事に終わる一日だった。ちょうどレタス一つについていたナメクジくらいの数の人達のために食事を用意したり、食堂を掃除したりしていたら、一日の終わりに差し掛かるころにはヘトヘトになった。こうして気力の限りを尽くした一日を例えば彼らナメクジもやっているのかとおもうと、気が滅入ってくる。私も大きな渦に巻き込まれ、どこか薄暗いところに向かって、知らずのうちに引き込まれていく過程にあるのかもしれない。
チームの力と速さを代表する選手が浦和を去った。一人はリーグの方針と真っ向からぶつかる形だった、一人もやはり日本の風土に馴染まないことがこの国を去った一番の原因ではなかっただろうか?。レッズは彼らの力があったからこそ、2004年2ndステージ優勝を成し遂げることが出来た。Jリーグ協会が彼等を眼の敵にしようともレッズサポは彼等を愛した。その愛が公正であったかどうかなど 、問うのは野暮というものだろうが、自分は、一人の人間として、彼らを見ることができていたか? そうやって自分一人の胸に問い掛けることはやめずにいたい。今なお浦和に所属して、チームのために汗をかくことを惜しむことのない二人の帰化人のためにも。「外人」という括りはいったい何を意味するのか? 「日本代表」が私達の何に照応するのか?
現代の囲い込みである隔離体制は、けっしてただ悲惨であるとか、ただ下劣であるとかいうようなものではない。それはつねに悪魔的な規模を持っているのだ。人々が自分自身を破滅させる行為へと参加させるように組織された社会組織というものは、散文によっては正しく言い表すことが出来ない。その意味を把握するためには、われわれはパウル・ツェランの「死のフーガ」に耳を傾ける必要があろう。「・・・・・・こうしてあなた方は、宙の中に墓を掘るのだ・・・・・・雲の中に墓を。そこでは人は窮屈な思いなしで眠れる。」
I・イリイチ「シャドウ・ワーク」より抜粋
地に足のついた生活というやつを一週間ほど続けている。朝早く起き、めしをくって仕事にゆき、昼はめしの後に少し寝て、それからまた仕事。夜はめしをくって風呂に入り他になにをなすでもなく床につく。単調な日々で、物足りないものは数多くあるが、ここに来てよかったと思う。岡の上の宿舎の二階にある僕の泊まっている部屋からは、周囲の山々に加えて瀬戸内の海や島が一望できる。広い空を眺めていると、時間の進行は雲の流れる速度で進む。ちょっとした時間でも世界は絶えず小さな変化が起きており、人の目にとまるような変化は、そうした小さな変化の積み重ねなのだと気づかされる、さらに言えば人の目にとまるような変化は、さらに大きな変化へと織り込まれて行くプロセスなのだろう。屋外での作業に疲れ、ふと周囲の風景の変化に気づいたあの時,一陣の風が吹き、自分の肉体の疲労の蓄積されるプロセスと、太陽や雲の運行がピタリと合ったような感触はなんだったんだろう? 自分は去年くらいから世界的な異常気象が気になっていたのだけど、ここでは強い風を受け、それを心地よいと感じている自分がいるだけだ。もっともっと風をこの身に感じたい。この単純な触覚を、存分に味わい尽くして帰ろうと思う。だからそのために、風よ吹け、も っと強く。
フランスの詩人 ルイ・アラゴンの言葉
なので一週間のうちどの曜日が好きかなど愚問だ!!!がはははははははははははははっははは
なんてね。特にどの曜日が好きか嫌いかなどということはありません。あえていうなら、Jリーグの試合がある土曜日と日曜日かな・・・ 最近はJリーグの休催期間が続いていて、、曜日がわからなくて立ち往生することが多いです。ああ、自分がサッカー中毒だということをさらすだけのエントリーになってしまった・・・。