『ジーザス・クライスト=スーパースター』 ソウル シャルロッテ劇場


ソウルにデスノートを観に行くことを決めたとき、他に何が上演されているのかと調べて、併せて観ることにしたのがこの作品でした。

念の為JCSに関する基本情報を書いておきます。JCSはイエス・キリストの最期の数日間を描いており、「神の子」としてではなく一人の人間としてのジーザスに焦点を当て、なぜジーザスは磔刑になったのか、なぜユダはジーザスを裏切ったのか、ジーザスとは何者だったのか、を問うロック・ミュージカルです。アンドリュー・ロイド・ウェバーの出世作がこれ。

JCSは映像化しているものは観ていたのですが生の舞台を観劇したことはなく(2012年BWリバイバル、観たかったのに私の渡米の直前にクローズした…)音楽がめちゃくちゃかっこいいのと、演出の自由度が高いのが魅力だなーと思っていたのですが、聖書に関する知識もごくごく基本的なものしか身についておらず、物語に対する理解度が乏しいというのは自分でもひしひしと感じてました。これ、掘り下げたら沼かも…とは思いつつこれまで表層をなぞる程度にしかこの作品を観ていなかったのは完全に私のリテラシー不足と怠惰によるものでした。いま、猛省してます。

そう、デスノートついでに観に来た韓国JCSに私はドはまりしてしまったんです…

8月13日の公演を観終わったあとの私のツイートがこちら



(帰国した今はなんで私ソウルに住んでないんだろってしくしく泣いている状態ですが、住んでたら確実に破産の道を辿っていたと思うのでセーブが効く距離があって良かったです)

JCSは演出が自由な作品で、もう長い年月繰り返し上演されていることもあって、アリーナツアー版の現代風演出や劇団四季のジャポネスク版(観たことないけど)など変わった演出で上演されることもあるですが、韓国JCSの目新しい演出と言えばヘロデを女性が演じることくらいで、あとは衣装も舞台セットもスタンダード。その中で神と人間の間に立たされたジーザスの苦悩、ユダのジーザスへの想いと葛藤など、私が「掘り下げたら沼かも」と思っていた部分を細かい演技と独自の訳詞によって丁寧にフォローしてくれていて、韓国版を観たことによってやっと私はJCSの本質に触れられた気がしたのでした。韓国版を観てから73年の映画版を観るとこれまでわからなかった部分にも理解が届いた感じがします。

初めて韓国でミュージカルを観てからもう3年が経つというのに、恥ずかしながらほとんど韓国語がわからないという状態だったのですが、韓国ミュージカルを観るときは元々観たことがある演目を選んでいたので、大体の内容はわかるし問題ないやと思ってました。がしかし、JCSがあまりに素晴らしくて、絞り出すように一語一語に感情を乗せて歌うジーザスとユダの言葉を理解できないことが悔しくてしょうがなくなってしまいました。きちんと歌詞が理解できたらもっと深い感動を味わうことができるはずなのになんで私韓国語わからないの!!ってものすごく歯痒かったです。

帰国してもJCSのことが頭から離れず、帰国の翌日には9月のチケットと航空券をポチってました…

そこからは再観劇までせいぜい3週間弱しか時間がなかったわけですが、まずは5回渡韓していても一語も読めなかったハングルを頭に入れるところからはじめ、ソフト化してるJCSをもう一度見直して、要約された新訳聖書を軽く読んで、satokoさんがブログに載せてくださった韓国語歌詞&翻訳を教材にさせていただいて重要な曲の歌詞を覚えていきました。9月の観劇を最大限に楽しむことができたのはほんっとにsatokoさんのブログのおかげです!ありがとうございます!以下歌詞の引用部分はすべてsatokoさんのブログからお借りしました。

ということで、8月と9月の渡韓で合計3回JCSを観て来たので私なりの感想を書いていきます。
勝手な解釈でがんがん書いていきますが、JCSに関してまだまだ勉強不足なので間違っているところがあればご指摘いただければ幸いです。


私が観た公演のキャストは以下のとおり。


◆8月12日 ソワレ

ジーザス…パク・ウンテ
ユダ…ユン・ヒョンリョル
マリア…ハム・ヨンジ
ピラト…チ・ヒョンジュン



あまり韓国ミュージカルの俳優さんに詳しくないのですが、パク・ウンテさんは昨年『モーツァルト!』のヴォルフガング役でも拝見していたので、とりあえずウンテさんの回をと思いチケットを取っただけだったのですが、私にとってはこれが大当たりだったようです。ものすごく私のツボなペアでした…理由はおいおい書いていきます。何度も観られてる方々も「ウンテさんには絶対ヒョンリョルさん」と言われてたペアだったので、何も考えずに選んだキャストがこの2人だったのは幸運でした。


◆9月6日 マチネ

ジーザス…チェ・ジェリム
ユダ…ハン・チサン
マリア…イ・ヨンミ
ピラト…キム・テハン



ウンテさんとのWキャストでジーザスを演じられてたマイケル・リーさんがBWに行かれるため2週間ほど早く千秋楽となり、8月末までユダを演じていたチェ・ジェリムさんが最後の1週間のみジーザスを演じることに。この回は2度目のジェリムジーザスの回でした。マイケルジーザスも観たかった…ジェリムユダも観たかったよー!!!


◆9月6日 ソワレ

ジーザス…パク・ウンテ
ユダ…ユン・ヒョンリョル
マリア…イ・ヨンミ
ピラト…キム・テハン



ラストはウンテジーザス×ヒョンリョルユダをリピートすることに。

私は2組しか観られませんでしたが、3ジーザス3ユダそれぞれにまったく違った表現をしておられ、相手によっても演技が変わるということで本当にリピーターホイホイな公演になってると思います。もっとこの組み合わせでも観たかったー!っていうのいっぱいあります…。何度も観た方々の意見としては、ウンテ×ヒョンリョル/マイケル×ジェリム/ジェリム×チサン がベストな組み合わせだとか。


前置きが長くなりましたが本編に行きます。


■Overture

韓国JCSのOvertureは、ユダが死後に見る光景、というふうに演出されています。
幕が開き、舞台中央にしゃがみこむユダ。舞台後方にはカヤパたち、ピラト、ヘロデが順に現れては去ってゆき、そして裸の背をユダに向けたジーザスが中央に。鞭で打たれるジーザスを見て、「やめてくれ」というように苦しむユダ。カヤパたちや民衆も舞台上から消え、メインテーマが鳴り響くのと同時に大きな十字架が降りてきて、ジーザスの死を示唆します。

そして夕焼けのような照明の中、上手から歩いて登場するジーザス。ユダを見つめますが、逆光でその表情ははっきりと読み取れません。

JCSでは「人間としてのジーザス」が描かれるため、ジーザスが起こす数々の奇跡は、言葉としては語られるもののはっきりと描かれることはありません。ですがこのOvertureのラストは私には「ジーザスの復活」を表現しているように見えました。ユダにとってジーザスは一人の男なので、神の子として「生き返り」という奇跡を起こしたというわけではなく、後世に自らの死をもって神の教えを説く存在として「復活」したことをユダが知った場面なのかなと思いました。悲しいユダの結末に、救いを与えるOvertureになってるんじゃないかと気づき、2回目以降はここで既に泣きそうに。


■Heaven On Their Minds

時はジーザスの生前に遡り、ユダの“Heaven On Their Minds”が始まります。

舞台はジーザスの死から始まって時を遡りまた物語を繰り返すというループ構造になってるんですね。

JCSでは「ユダが自らに課せられた使命をどこから自覚したか」ということへの解釈が、演出や役者によって随分変わるのですが、韓国JCSの“Heaven On Their Minds”(以下HOTM)ではユダは『裏切られ死ななければならない運命』と歌っており、完全に運命を知っているように見えます。これはOvertureの流れのまま「ジーザスの結末を見てきた」状態のユダなのかなと思いました。HOTMを歌うユダの後ろではジーザスが使徒たちと共に現れますが、この時のユダは実際の時間軸を生きるユダからは剥離した狂言回しとしての人格で歌っているという感じがします。

キリスト教では自殺は禁じられているわけですが、自ら命を絶ったユダが天国に行けず何度もジーザスを救えない人生を繰り返しているのかと思うと胸が苦しいです。ユダにとってはこれ以上の地獄はないでしょう。このループ構造は同じ物語を何度も上演する舞台そのものを表してるようでもあります。

(そうか、円環の理として世界そのものになった鹿目まどかとその運命を変えよう何度も人生を繰り返した暁美ほむらはジーザスとユダだったんだな~)(「まどマギ」の話です)

といってもこの輪廻転生という考え方は仏教思想から来ているものであって、キリスト教の価値観には合わないものなのでこれはあくまで私個人の解釈で、実際に韓国JCSの演出にユダの輪廻転生を示唆する意図があったのかどうかはわかりませんが、そうなのだとしたらアジア圏ならではの演出なのかなと思います。

(また余談ですけどまどマギなんかはキリスト教と仏教の思想の両方が色濃く反映された作品ですよね、アジアの文化にはこの二つの思想が自然にミックスされたものが結構あるなぁと思います)

satokoさんの翻訳を読ませていただいて分かったことなのですが、韓国版はかなり独自の解釈での訳詞になっていて、原語版よりさらにジーザスとユダの関係を浮き彫りにするものになっています。

これまで私が観てきたJCSでは、ユダが民衆の狂信ぶりを一歩引いたところから見る者として組織に危険が迫っていることをジーザスに警告する曲という印象だったHOTMが、韓国版では唯一ジーザスの運命を知る者としてただジーザスを救いたい一心で語りかけているような歌詞になっていて、Overtureと併せてこの作品がユダの視点から見た話なのだということが観客にわかりやすく伝わる演出になっています。

日本語字幕をつけてくださっているので、是非三者三様のHOTMのMVを見比べてみてください。3ユダそれぞれにアプローチが違って、面白いです。

ユン・ヒョンリョルさんのユダは、はじめからジーザスに対し懇願するように歌っていて、私はもうこのヒョンリョルさんのユダのはらはらおろおろしてる感じが超好きなのですが、HOTMに関してはハン・チサンさんのユダの解釈が興味深かったです。チサンさんはかなり淡々と客席に語るように歌っていてより狂言回しとしての曲だという意識が強いように感じます。感情の揺らぎもあまりなく歌い方もMVで聴いていたとおりなので、なんだかロックスターのコンサートのようだなと思いながら観ていたのですが、最後の「ジーザス!」のシャウトの前に「チェバル…(頼む)」って苦しそうに囁くんですよー!!もう、一気に崩れ落ちそうになりました…

あと好きだったのは『ナザレで大工をしていればよかったんだ 椅子なんかを作ってたイエスはどこへ行ってしまったんだ』的な歌詞のあたりでしゃがみこんでまるで目の前にいる幼いイエスに話しかけるみたいに歌うところ。ユダは例え自分と出会えなくてもジーザスに平凡で幸せな人生を送って欲しかったって願ってるんだよねーそれってめっちゃ愛だよねー…


韓国版HOTMで特に好きなのがここ。

우리함께 꿈꾼 그 모든 건
俺たちが一緒に夢見たそのすべてのもの
신보다 위대한 인간의 길
神より偉大な人間の道
난 아직도 그 뜻을 굳게 믿고 있는데
俺は今でもなお その意志を固く信じているのに


ユダがジーザスのことを神の子としてではなく仲間として信じていたこと、人間として人間を救う道を進もうとしていたことがしっかり語られてますよね。『俺たちは生きなければ』と歌っているユダが結局は自ら命を絶つ道を選ぶのかと思うと、せつない…


まだ1曲しか終わってないですが次回に続きます。