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OZMA “HARD ROCK PRESS”

OZMA-X/THE LOVEROCK VIOLENT/X-RAY/ROCKCHILDの
ハードロックベーシスト日記

昨年、初めて出演するようになった大阪阿波座のライブハウスBIG JACK。
二人の女性が事実上運営している。
朗から彼女たちがX-RAYを好きなのかは少し聞かされていたけれど…


店内がこんな風になってるとは思いもしなかった(笑)
そこで店長のトレーシーさんにX-RAYへの思いを聞いてみた。

[中3の冬]

X-RAYがラストライブを行ったのは1986年の2/3からの3デイズ。
大阪キャンディホールだった。
最終日の2/5は入場出来ない人たちが会場外にあふれた。
トレーシーさんは当時中3。
大好きなライブも受験期で親から禁止されていた。
そして、現代と比較して圧倒的に情報の少ない当時、彼女の耳にX-RAYのラストライブがあることは残念ながら入らなかった。
そのような状況でついにX-RAYの解散の2月5日がおとずれた。
彼女は新聞かなにかでX-RAYの解散とラストライブのことを知る。
受験のことや親からのライブ禁止令のことなど一気に吹っ飛ぶ。
大好きなX-RAYが解散するえーん
そして、「今日がラスト」
いてもたってもいられない気持ちは読者の皆さんにも容易に想像できるかと思う。
彼女は約束を守れないことを親に詫びてライブハウスに向かった。
チケットも無いのに…

[X-RAYラストライブ]

入場が滞り開演は遅れに遅れた。
前日よりも1.5倍の入場者数だったから当然だろう。
なぜかラストライブは月曜日から始まった。
つまり2月5日は水曜日。
学校が終わって会場に到着したとして夕方だろう。
何を考えてその場にいたのだろう…
残念ながら当日券はもう無かったらしい…
ラストライブを見届けられない暗澹たる気持ちのまま会場の外で泣き崩れていた。
そのとき…
ある女性が近づいて声をかけてきた。
「チケット、余ってるよ❗」
そこからはもう何がなんだかわからないままライブの時間を過ごし…
そして、人生で初めて絶望というものを知った彼女は2週間学校を休んだ。
全21曲演奏されたX-RAYのラストライブの模様は涙が視界を妨げ、悲しみは記憶することを遮り…
ただただ虚脱感のみを残したのだった。

[それから30年]

朗は何年か前にBIG JACKのステージに立ち、僕とロジャーは昨年の10月に初めてRock The Mountainのライブでトレーシーさんに会った。
先月は朗のバースデーライブでメンバーが揃いX-RAY10曲を披露した。
リハーサルの時から泣いている姿が目に入った。
終わってからトレーシーさんから当時のエピソードを聞いた。
彼女はどうしてもラストライブのチケットをくれた女性に感謝を述べたいらしいのだ。
ロックの格好をした女性…だけでは探しようがない。
僕は約束した。
『探しましょうビックリマークそのこと記事にします!!
というわけで皆さんが読んでいるわけだドキドキ
もしも…
1986年2月5日
X-RAYのラストライブの時に会場前で泣きじゃくる中学生の女の子にチケットをあげた方がこの記事を読んでおられたら是非ともBIG JACKを訪ねてあげてほしい。
あなたがチケットをあげてくれたことにより中学生だった女の子はいつしかライブハウスを経営するようになり…
X-RAYのメンバーのために尽力してくれているのだ。
あなたのした善意の行いは思いもよらぬ形で多くの喜びを生み出して現在に至るドキドキ
トレーシーさんがあなたに感謝を心から直接述べる日が来ますように音譜

BIG JACK
電話番号06-6536-1112
大阪市西区阿波座1-13-11建協ビルB1