私は国立おざわの初代院長として2007年の創業時から鍼治療を哲学しています。
創業当時から観ると『だいぶ、鍼治療という世界も変わってきたな…』と。
ん?…変わってきた…??
いや違う…
鍼治療の時代は俺が創る…と心に決めた天との約束。
沢山の幅を体感して、自分自身で世界を変えてきたんじゃないか。
人事を尽くして天命を待ってるんじゃない。
天命を信じて人事を尽くしているんじゃないか。
さて、『初代の哲学』
トリガーポイントという治療法。
当時は『え?なにそれ?』的な治療法が、
今では鍼灸師の国家試験に登場する程の認知度になりました。
認知度が増えるのはいいですが、
それに伴う鍼師の技術が上がっているか?…となると、そうではない現実があります。
全然甘い。
甘すぎる。
鍼師は今こそ奮い立て!
養成学校の教員も奮い立て!
生徒も教えられるだけじゃだめだ。
自分自身で奮い立て!
命は感じてこそ燃えます。
感じられていないんじゃないのか。
未だ、山の麓と思えるほどの未来性がある治療法が『トリガーポイント』というものです。
命を燃やして今辛い患者さんに知らせたいこと。
今辛い患者さんに本まで出して知らせたいこと。
リラックス・呼吸法・マッサージ・エステ…
ホ~ッと、することが自律神経を整えることじゃあない。
半ば『強制的に』自律神経と戦わないと首コリ現代人の治療は出来ない。
コリ(TP)を外科的に処理して副交感神経を強制的に上げる治療法はトリガーポイント治療にしかできないものです。
だからこそ甘さは捨てて、
鍼師は『技術屋』にならなきゃいけない。
頭は要らない。
毎日鍼を打ち続ける『狂』。
先日、
私は15歳になった息子に問いました。
『お前は俺の仕事を継ぎたいのか?』
そもそも、
私は『2代目』というのが嫌いです。
話していても初代ほどの覚悟の幅が無いからつまらない。
地主の何代目かなんて、つまらないの極みです。
政治家も同じく。
己の哲学が無い。
生きざまが無い。
どう生きて、どう死ぬかの命の駆け引きをしていない。
厳しいですが、私がいわゆる『2代目』と付き合っているのは私が認める数人です。
それ程までに初代と2代目の『目』が違う。
目は口ほどにものをいうのではなく、口以上にものをいう。
圧倒的な差がある。
初代を超える…と2代目がどれだけイキっても、得られる幅は初代との比較。
創造していない。
自分の幅じゃあない。
初代は苦しみ・苦悩・苦渋…多くの幅がある。
もし、
私が簡単に『院はいずれ息子が継ぐ』なんて言ったら我が院の社員はとっとと全員辞めます。
初代と我々で創り上げた夢の大舞台を簡単に渡してたまるかッ!!…と。
それほどまでに、社員は私の初代院長としての生きざまを観てくれています。
息子は、
『いや、継ぐのは無理でしょ。お父ちゃんはずっと仕事するだろうし、俺が二十歳になっても父ちゃんは46歳だろう?いつまで経っても俺が主役になれないじゃないか。俺は俺のど真ん中を生きたいんだよ。』と。
いいぞいいぞ。
そうだそうだ。
随所作主立処皆真。
随所に主となれば、立つ処は皆真なり。
お前がお前のど真ん中を歩め。
さぁ、
18歳が成人とされる日本。
15歳はもう大人ですよ。
自分の生きざまは自分で決めさせないと。
ただし、なんとなくを生きたら許さない。
それは何歳になってもだ。
子供が悩んで苦しんでいたら、今の親はどうしますか。
子供が辛くてのたうち回っていたら、今の親はどうしますか。
悩んだら悩み尽くせ
落ち込んだら落ち込み尽くせ
もがき苦しめ。
苦しみ尽くせ。
明日に逃げるから今が辛くなる。
落ち込みが足りねぇぞ!明日なんかねぇぞ!と言ってやれるか。
悩み落ち込み尽くした先に必ず『落ち着く』がある。
必ずある。絶対にある。
今が粗末な人間に明日なんかない。
初代は、
一所を懸命に生きています。