2024年1月24日で、創業17周年を迎えます。
18年目はどの様な年になるか…という事も考えなくなりました。
考え方は要らない。感じ方が大事。だから今まで感じた事を大事にしながら、一日、一日を『一(はじめ)』とし、命を燃やしています。
人生において、『生きる』とは、生き永らえる事が大切なのではありません。何の為にこの命を使うか、何の為にこの命を生かすか…という所にあります。自分の命をかけても惜しくない対象に出会うことが、『生きる』という事です。
私の周りには様々な経営者が居ます。頭の哲学で仕事をしている人は、崩れる。崩れた人を何人も見ています。
胸の奥から湧き出る覇気を『持ち続けている』事が、活躍の中心にあること。自分自身がど真ん中。随所に主となれば、立つ処皆真なり。
この数か月、出会う人から沢山の相談を受けます。直接的な相談を受けなくても、「あの人の所に行ってやってほしい」ということもあります。『なんとなく生きていないか?』『求め続けて生きろ』『自分自身を舐めてないか?』本気で語ります。
考え方よりも感じ方が大切な現代です。頭でっかちの頭のいい人は沢山います。
しかし、自分自身を哲学して胸の奥から湧き出る覇気で言霊を吐き出せる人は少ない。頭の言葉は刺さらない。
12月。私の紹介で、世界一厳しい研修と言われる山に入る男がいます。
彼は、かけっこ忍者塾…という子供たちに走る喜びを教えている男です。学校に行けない子供たちや、家族との関係性で心が痛んでいる子供たち。沢山の人間が彼の周りには寄ってきます。
彼自身もオリンピック候補であった歴史があり、大変に沢山の挫折を繰り返しました。
人間は自身の揺らぎの幅でしか人を愛することはできません。だから彼は、体感した揺らぎの中で子供たちに走る喜びを教えることを『生き方』としています。
これは彼の頭ではない胸の奥の考えからくる行動哲学です。しかし、彼も未だ現役。走ることを諦めていない。
彼は、心のどこかで自分自身を舐めている部分がありました。スポーツ選手は、己が己自身を極める事に達成の極みがあります。
私は、彼の『生き方』を感じて、仮面を被っている様に観えました。
だから、私は彼に『お前は、走る喜びを子供たちに教えている。山に入って、これからは子供たちに生きる喜びを教えてやれよ。』と言いました。
彼はその言葉に、響き、刺さり、山へ行く事を決意しました。
人生は何も成さぬにはあまりにも長く、何かを成すにはあまりにも短い。
「これから頑張ります!」なんて言葉は、我々にはあり得ない。
何かを成す為に、明日なんかねぇ!という気持ちにて突き進むる。
明日に逃げない為に。
OZAWAの哲学