最近は市議会議員選挙、市長選挙がありました。
当院研修生のお兄ちゃんもなんと2位で当選しました。
おめでとうございます!
僕と年齢も変わらないので若者同士切磋琢磨して頑張りたいですね!
国立市の市長も変わりました。今後どのように開発されていくのか楽しみです。
ヤフーニュースに気になる記事がありまして、『それでも日本には経済成長が必要なのか』という記事がありました。1人のジャーナリストが書いているようです。
気になる文章を載せます。
以下文章を抜粋↓
真夜中でも煌々(こうこう)と電気がついた街で、24時間多くのサービスが受けられたり、猛暑の中、クーラーで冷やした部屋でサマーセーターを着用したり、冬にはシャツ1枚で歩けるくらい家全体を暖めたりする。「こんな生活をする必要が本当にあるのか?」
何のために経済成長を目指すのでしょうか?
発展途上国に行くと、バスにはあふれんばかりに人が乗っています。走り出したバスのドア枠にしがみついて乗車し、降りる時は周りの人を押しのけて飛び降りる。信号もない交差点を洪水のように走り続けるバイクやクルマの列の合間をぬって道を横断する。駅の階段にはエレベーターもエスカレーターもない。
そういった環境では、車いすの人はおろか、杖をついているだけでも日常生活に大きな支障がでます。視覚などに障害があれば、事実上1人では街に出られないと言っても過言ではないでしょう。
「経済発展して何の意味があるのか」という問い。「人は本当に経済発展とともに幸せになっているのか?」という問い。「便利なものはなかったけれど、昔の方が幸せだったのではないか」という疑問。
「これらの疑問や問いは、強者が感じるものなのだ」と気が付きました。階段が難なくのぼれて、公共交通機関しかなくて大混雑している街でも移動に困らない、自律的な体温調整ができる、そういう人だから「ぜいたくでは?」と思うのだと理解したのです。
「なぜ経済発展が必要か?」と問われたら、「弱者も生きること、生を楽しむことが可能になるからだ」と。豊かになるとはそういうことなのだと。
経済状況が厳しければ厳しいほど、人間の社会も基本的には動物の世界に近付きます。弱者に構っていられなくなるのです。そして、力のない者は淘汰されます。
戦争になれば、子どもやお年寄り、ケガ人や病人、走ることのできない妊婦、体の弱い人から順に死んでいくのです。力の強いもの、生物としての生存能力の高い人しか生き残れなくなります。
…という文章が載っていました。
深いですね。経済発展というのと障害を持った人がよりよい環境で暮らしていく事は密接に関係がある訳ですね。
つまり、障害者の方々をよりよい環境で暮らして頂く為、ハンディキャップを持つ方が生きる事を楽しめる環境づくり…としても経済発展は重要な訳ですね。
将来的な日本という島国の年代別による人口の表を載せてみました。
50年後は僕も70歳後半です。
頑張らないといけませんね。燃えます。