このシリーズは私と癌との日々を綴っていきます。こんな生き方をした人間がいたことが誰かの役に立てば。おざポンがどんなときでも一日一生で生きたことが教え子達の勇気に繋がれば。そんな想いを込めて。
(以下長文です。お時間のある際にお読みください)
いよいよ残り少なくなった人生。
一人になると静かに振り返る時間が多くなる。また、過去に時を共にした人々が夢に出てくる頻度も高くなる。
人が死ぬ前に後悔する○つのこと、という言葉を検索すると様々なサイトが出てくる。○に入る数字は7,8,17などだ。
私には「やり残したもの」はないがいくつかの「後悔」はある。それは全て“過去のこと”であり、残された時間で埋めることはできない。
今回は○=17という記事を拝借して自己分析してみた。
◎は「やり遂げた」と胸を張りたいことで、これらは自分の生き方のポリシーでもあった。
◎周りの意見よりも自分の心の声を信じるべきだった
◎リスクを恐れずにいろいろ挑戦すればよかった
◎もっと一瞬一瞬に集中して生きればよかった
◎もっと他人のために尽くせばよかった
◎もっと自分の情熱に従って生きるべきだった
◎他人の期待に沿うための人生ではなく、自分が思い描く人生を歩めばよかった
次は自分も後悔をしていること。
×他人がどう思うか気にしすぎなければよかった
×もっと自分を幸せにしてあげればよかった
×喧嘩別れしなければよかった
×あれこれと心配し過ぎなければよかった
◎と×を合わせても10にしかならないが、カットした項目は自分にとっては重要とは思えないもの。たとえば「もっと旅をすればよかった」「もっと時間があれば……」などだ。
これらは主観に外ならず、人から見れば「オイ、小澤は~だろ!」とお𠮟りを受けることは重々承知だ。
それをわかっていながら今回この記事を書いたのは、皆さんに、特に子ども達に伝えたいひとつのことがあるから。
それは、
自分の気持ちに正直に従って行動する
ということだ。
この記事では幾つかの私の人生の後悔のうち人様に言えるものを伝えたい。
実は私は二十歳そこそこの頃の出来事が未だに後悔として残っている。そして余命の中でもし挽回が可能なら、取り戻したい時間だ。
そのとき私は都内から他県に向かう電車に乗っていた。
平日の午前中で通勤・通学の混雑も終わり車内には乗客はまばら。同一車両内には6,7人しか乗っていなかったと記憶している。
突然「てめえ何にらんでんだよ!」という大声が響き渡り、次の瞬間静かそうな男子学生が大柄でチンピラ風の男に顔面を複数回殴られのだ。
学生は「にらんでいません…」と小声で言ったが、鼻血を大量に出して顔を両手で押さえていた。
そのとき、私の心の声は明らかに何度も訴えていた。
(オイ小澤、立ち上がって救いに行け!)と。
しかし私は他の見て見ぬふりをしている乗客同様、まったく動かなかった、いや動けなかったのである。
理由は殴ったチンピラ風の男が怖かったからだ。
過去に自分も東京の赤羽でチンピラ2人組に殴られてカツアゲされた経験がある。
だからと言って……。
殴った男は2,3駅先で何事もなかったかのように平然と降りて行った。私は男と目も合わせられず、殴られた若者を横目で見ることしかしなかった。
最悪である。
たしかに今のようにスマホは流通していなかった時代だ。
やれたことは限られていたかもしれない。
しかし冷静になれば手はいくつかあった。
自分が許せなかった。情けなかった。
教え子たちには「行動しなければ何も生まれない。考えているだけなら誰でもできる。なぜやらない!行動しろ!」と正義感をかざして大声で叫んでいる同じ人間が、自分より強いと思った人間の前で何も動けず逃げた。
そんな自分が許せなかったし、恥であったし、その後大きな後悔となって残り続けた。
たしかに車内にナイフや拳銃を持った犯人がいたら逃げるのが正解かもしれない。
だが、「やれること、やるべきことがあったのに動かなかったこと」が後悔としてずっと残ったのだ。
やった後悔よりもやらなかった後悔の方が重く残ると言う。まさにその通りだと痛感する。
皆さんには、特に教え子たちには同様の後悔をして引きずってほしくない。
「自分の気持ちに正直に従って行動しろ!」
「考動する人間になれ!」
と伝えたいし、残りの時間で示したいし、もし来世があるのなら肝に銘じて生まれ変わりたい。
今年の入試で一人の生徒に勇気をもらえた。
彼女は願書再提出期限の3日前に「自分が歩みたい人生」を涙ながらに親に訴え、受験校を変更したのだ。
そしてそれを聞いた親は本人の意志を尊重し、変更を認めたのだ。
それまでずっと歯を食いしばって目指してきた志望校。学力は合格レベルに到達していた。
しかし「自分が高校でやりたいこと」がパッションのように芽生え、その気持ちに従ったのだ。
入試直前に彼女から届いたLINE↓
おざぽんへ
やっと私の人生が始まるな…という気持ちです。妥協と諦めだらけの日々から脱却して、平坦な道ではないかもしれないけど、敷かれたレールの上じゃない地面を自分で踏みしめて自分の道を切り拓ける日々がスタートするのだと。
私の大好きな漫画にある台詞で「『道』というのは自分で切り開くものだ」という言葉があります。敵に追い詰められて、「もうお前らに道はない!目的地までの道も未来への道もな!」と言われた主人公が言い放った台詞です。どれだけ「もうダメだろ…」と思っても、それはただ元ある道が途切れただけでそこから先は自分で作ってしまえばいいじゃないか。砂利道なら踏みしめて、崖なら橋をかけて…。どうにでもなる。ダメそうでもとりあえずやってみて、成功したらそれで良いしダメならダメでアプローチを変えてみれば良い。
そう思えるには「私なら大丈夫」という確固たる自信が不可欠だったとつくづく思います。その自信を与えてくれて、気付かせてくれたのはおざぽんです。本当に数学だけじゃない、毎回が人生の授業でした。
週記、おざぽんが楽しみにしてくれていたから私もありのまま書けたのだと思います。自分の感受性についてなんて碌に考えたこともなかったけれど、おざぽんが褒めてくれたから自信になったし、文章を書いたり物事を考えるのがより好きになりました。「やりたいことリスト」に「文学賞に応募してみる」というのが追加されたくらいには嬉しかったです。
追記と呼ぶにはあまりに長くなってしまったし、これを書くのに随分時間を使ってしまったけれど…本当に、今までありがとうございました!おざぽんの熱い熱い魂は、たとえこの世からおざぽんが居なくなったって私の心の中で生き続けます。
だからまずは私の合格の笑顔を待っていてください!
もちろん彼女は合格をつかみ、忙しい高校生活を生き生きと過ごしている。
《追記》
「自叙伝みたいなもの」の記事でも書いたが、私は中学時代の恩師にその後会いに行かなかったことを後悔している。
もし教え子の中に会いに行きたいんだけど今の自分の生き方はだらしないし、良い報告は何もないしな…と躊躇している子がいたら、そんなもの要らないから顔だけでも見せに来てほしい。キミに会えるだけで嬉しいよ
【注】本記事には様々なご意見や反論があることはわかっている。たとえば「逃げるが勝ちってこともある」や「守るべきものがあるのに無茶な行為に出るな」など枚挙にいとまがないだろう。
しかし「心の声に従わず行動しなかったこと」が私の一生の後悔になってしまったこと」は紛れもない事実であり、ぜひ他山の石にしてほしいという趣旨だとわかってほしい。
(以下次号)
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