2009年にUPした人気記事を再掲します。
受験は水もの。
大逆転が絶えない。
なんであの子が落ちる!という思いもかけない不合格もあれば、逆のケースも。
これらは全て“アクシデント”なのだろうか?
まさかの不合格は風邪やインフルエンザなどの偶発的要因で起きるのか?
それとも出題された問題の向き不向きなどの“運”によるものか?
たしかにそういう場合もあるだろう。
しかし忘れてはならない要素がある。
どこの塾も大きな模試は年内に終了する。
しかし、その後の勉強量は膨大で充実度はものすごい。
もし合判第5回があったならどんな結果が出るのか?
例えばこんな成績(4科偏差値)の子がいたとする。
合判①58②64③61④55
この場合、平均偏差値59.5の受験生として記録が残る。
この子が偏差値67の学校に合格でもすれば“奇跡”として語られるかもしれない。
でも本当にそうなのだろうか?
合判④の結果を見てご家庭は真っ暗になったことだろう。
お父さん・お母さんは果たして自分のしてきたことは正しかったのか悩んだかもしれない。
そして誰より子ども本人が気持が折れかけたことだろう。
もう、ダメかもしれない…
第4回の成績だけ見れば志望校まで偏差値12も離れているのだから。
しかし受験は“平均偏差値”で決まるのではない。
もし先ほどの子が残り40日で合判②の状態(偏差値64)まで取り戻せていたら確率50%で受験したことになる。
66まで上昇していたらほぼ80%で挑んだことになる。
グラフにするとこういうことだ。
受験はある見方をすれば残酷なものである。
過去にどんな素晴らしい成績を出そうが本番で力が発揮できなければ志望校には伝わらない。
子どもがどんなに辛い思いをしてこようが、何を犠牲にしてこようが、合否には関係ない。
受験日にどんな答案が書けたかが全てである。
その答案により学校側は「ああ、こんな子ね」と判断するわけである。
でも、それは逆に言えば「全ての受験生にチャンスがある」ことを意味する。
(1)合判第5回(実在はしない)で成績を上げること
(2)第一志望当日に力を発揮すること
それが出来た子が“逆転”に写り、失敗した子が“思わぬ不合格”になると考える。
各塾、冬の講習会が始まる。
お子さんはどんな状態で臨んでくれるだろうか。
もし何かをやってくれそうな雰囲気が感じられなかったら、このブログを読ませて親子で対話してみることをお勧めしたい。
チェックポイントを挙げよう。
■毎回不明点を残さず帰ってきているか。(今こそ塾っ子になれ!)
■今が一番勉強していると言える自信があるか。
■第一志望に対しての“想い”は他の誰よりも強いか。
■ケアレスミス撲滅に対する意識は最高に達したか。
■合格答案作成に対する意識は最高に達したか。
■理社は完璧か(最後の1日まで得点が伸びる科目が理社である!)
さぁ、ここからが本当のラストスパート!
がんばれ受験生!
最後になるが、“アクシデント”についてこんなエピソードを紹介しよう。
昔、T子というガッツのある小6の女の子がいた。
出陣式で「絶対合格してオザぽんを見返してやる~!」と誰よりも大きな声で叫んだ子だった。
1月31日にインフルエンザが発症した。
2月1日第一志望の御三家不合格。
心配で2日は豊島岡の校門で待った。
結果は不合格。
3日は池袋駅で親子と待ち合わせした。
豊島岡までの道中、ずっと勇気を与えた。
結果は不合格。
夜電話すると、それでも4日にもう一度豊島岡に挑むと毅然と言う。
「がんばれ!」と応援した。
きっと「もういいから。オマエは十分やったよ」と私が言ったら涙があふれて止まらない精神状態だっただろうに…。
親は具合が悪く寝込んでしまったため、4日は地元の駅で待ち合わせをしてT子と一緒に池袋に向かった。
悩みに悩んだ。
個人的にそんなことをしていいのかという思いと、自分はもしかしたら疫病神かもしれないという思いがあったからだ。
疫病神がまた応援に行ったって、彼女の不合格を呼び込むかもしれない…。
でも放っておけなくて、そういう行動に出た。
その日の夜、彼女から「豊島岡に合格しました!」という泣きながらの電話があった時の嬉しさは今でも忘れない。
「よくがんばった!よく負けなかった!」と声にならない声で叫んだのを記憶している。
これは後日談だが、彼女は結局豊島岡に進学せず、1月に合格した埼玉の共学校に進学した。
理由は「そもそも共学に行きたかったから」である。
それを聞いた時は腰が抜けた。
でも彼女らしい選択だったのかもしれない。