週2で通院しています。

医師一人70歳代と以前書いたが、60歳代に今は思える。
午後遅い時間に行くのだが、客すくなく閑散、

のんびりした雰囲気に、飛び込むように救急車が着いた。
いつもは施錠されている扉を開けると、

救急車の開放されたバックドアが院内に接続され、
救急隊員と看護士が、診察室に青白い若い患者に脈をとったり、

いつもの業務らしく、淡々とこなしている。
・・その時は、私は決まりきった腰の温熱療法と牽引を隅でしていたのだったが、、
その救急患者と、私は50畳ほどあろうか、大きな作業場のような部屋で同室にいて、
その処置を、距離はあったが傍らで見ることがあった。
大きな外科手術はたぶん手術室が別にあるのだろうと思うが、そのようなことでない限り、
この部屋で、内科外科整形外科の診察治療、受付事務、リハビリを一手にしているようだ。
このスペースで働く医師看護士数名の情報共有が自然に取れているように見えた。

また患者もそこに加わってもいると言える。
もう数回通ってこの医師ワンマンなのかと思っていた矢先、

若い40歳くらいの医師の診察を受けた。
その医師はカルテをみて、洋書のたぶん辞書のページをめくりながら、話した。
痛み止めプレガバリン(末梢神経の神経障害性疼痛の抑制剤)を25㎎朝夕2週間分を処方されたが、
もし痛みが激しいときは、追加して飲んでいいということだったので、
10日ほどで飲み切ってしまっていて、増量を申し出て3倍の75㎎となった。
その際、こんなことを言った。

将来、整形外科の専門病院に移って診てもらうことになるかもしれない、その病院名を挙げた。
数年前に入院したこともあるよく知る大きなK病院の整形外科、
将来とは? 

私としては、年内は何かと忙しい、来年なら治療に専念できるのか算段したのだが、
追い出されるような気分でもあった。

また手術の可能性に触れられたが、手術はほかの病院でしかできないらしい。
次の通院で、もとの初老の医師に、どうせ別の病院に移るなら、

早くしたほうがいいのではないか、と思ったが
大きなK病院は駐車場と病院が遠い、

大きい病院内をあちこち歩かされるのは今はつらい。

K病院へは行きたくないと告げた。
手術は患部に内視鏡を入れ切除するという。

しかし腰とか首にメス入れるのはやむを得ない以外はやらないほうがいい
推間板ヘルニアは、手術した半年後の予後、

しなかった場合の半年後では、あまり変わりがないというデータがあり、
手術せずに治ることも多いんだ。

神経を刺激していた飛び出た軟骨組織が消えてしまうことがあると言った。
それはMRI(Magnetic Resonance Imaging:磁気共鳴画像診断装置)でわかる。
MRIはK病院にしかないんで、もし手術するしかないならK病院に移ればいい、

しばらくはここで様子見たら?
ということで、この病院で当分世話になることになった。
ある日、やけに痛い、なんでなんだ?絶望的な気分に襲われたたことがあった。
その日、薬を飲み忘れていた。

錠剤に日にち朝夕の別を記載していた。

その日の朝の分が残っていて、飲み忘れに気づいた。
しばらくは薬に世話にならざるを得ず、
鎮痛剤はなぜこんなにも効くのか、不思議なくらいだ。
右半身を下にしてずっと寝ている。

右の腰骨の堅い部分に体の重みが掛かっても、痛みがない。

ずれると痛んでくる。

3日前、両腰、尻を寝床につけられ、仰向けでいられた解放感。

こんなことが嬉しい。
チャクラダンス瞑想、クンダリーニ瞑想も立っているステージがある。
高脚の椅子に座っていたのが、このところ、立ったままでいられるようになった。
このようなことがあっても、無関係のようで、
脊柱に沿って下から上にエネルギーの上昇は、やまない、、
下の部分は、患部の推間板あたりも含むであろう。
『手術せずに治ることも多いんだ。

神経を刺激していた飛び出た軟骨組織が消えてしまうことがある』
これは自然治癒ともいえ、

この瞑想がどうか関わっているのか、まだ確かなことは言えないが、、
いまは瞑想が痛みを高進したりは全くない。
日々、快方に向かっています。

・・・・・・・・

痛みがありながら

瞑想もしている

内部の脊柱にそって高まっていくエネルギー、、

(このような言語表現しかできません)

それは深い喜びをともない、

ともにありたい、と欲し

瞑想は止めがたい

・・・・・

エネルギーが高まっていくと、

肉体はそれをにないきれない、

(OSHOもそう言っていた)

焦らず、時間をかけて

肉体と調和していく

過程なのだと考えています。

過程の

ひとつひとつを受け入れて

いこうと思っています。