~自分を探す旅~
☆ 秋の瞑想リトリート ☆
【開催期間】10月7日(金)3pm ~11日(火)3pm
\(⌒∇⌒)/
瞑想したい方
瞑想に関心のある方なら
どなたでも
期間中の都合のいい日に参加できます。
会場は渓流沿い最奥の一軒家
澄んだ空気をいっぱい吸い込み
― 様々な瞑想を体験します―
― 自分にフィットする瞑想法を探求します―
― 自分は何者か探す内なる旅にでます―
■会場 石裂山瞑想の家
〒322-0254栃木県鹿沼市上久我1842
■開催期日 10月7日(金)午後3時~11日(火)午後3時
期間中の都合のいい日に参加できます。
■参加費 ・全期間参加4泊5日 24000円
・1泊2日(24時間) 6000円 ・3時間 750円
※食費を含みます
ティー ブレイク
オープンガーデンでお茶や食事を楽しめます。
■1日の基本スケジュール
7:00~ ダイナミック瞑想
8:30~ チャクラダンス瞑想
11:00~ 食事
14:00~ リクエスト瞑想
16:00~ クンダリーニ瞑想
18:30~ 食事
20:00~ リクエスト瞑想orOSHO講話(ビデオ)orセラピーetc
※スケジュ―ルは変わることがあります。
リクエスト瞑想 → したい瞑想をリクエストします!
前回はこんな感じ↓
~自分を探す旅~7/15-19瞑想リトリートの報告
https://ameblo.jp/ozakusan/entry-12755200923.html
☆全瞑想&参加者の感想掲載☆
■予約申込方法
予約フォームに
「瞑想リトリート参加希望」と記し、
以下2件について、回答をお願いします。
(1)作ってみたい献立と必要な食材、…ない場合は『なし』と
(2)アレルギー等で食せない食材、…ない場合は『なし』と
その他の必要事項を書き込み、送信下さい。
キッチン・・・共同で食事作りをします
■問合せ先はこちらです
■コロナ感染リスク低減のための対応
※体調に不安のある方は、早めにご相談ください。
■【アクセス】
電車バスご利用の方は、終点バス停で送迎します。
☆ご乗車になるバス時刻をお知らせください
詳しくは こちらです
瞑想ホール
■生活上のお願い
・フトン敷き・片付け・清掃などセルフサービスとなります。
・入浴・シャワー24時間随時できます。
空いているときに利用ください。清掃も各自でします。
・トイレ4室(全ウオシュレット)
・全自動洗濯機・乾燥機がご利用になれます。(洗剤付)
・石鹸・シャンプー・リンス・ドライヤー・バスタオル
ハンドタオル・ヨガマット・瞑想用のクッションは
備え付けのものが使用できます。
・携帯電話は圏外で使えません。
固定電話を利用料実費でお貸しします。
wifi あり。 Adslで通信事情はよくありません。
・瞑想には、体を締め付けないゆるめで
動きやすい服装がよいです。
ローブ使用可。レンタルローブ数着あります。
・山間地です。朝夕寒い日があり通常より温かい服装が必要です。
徒歩2分の河原
~自分を探す旅~
OSHO SAID
あなたが自分自身を知らないと感じるなら、
誰かに「私は何者でしょう?」と尋ねに行ってはいけない。
あなたに答えられる人は誰もいない。
あなたは内側にいて、隠れている。
必要なのは、自分のいる次元を深く洞察し、
自分自身と出会うことだ。
これは異なる種類の旅だ――内側への。
私たちの旅は、どれも外向きだ。
私たちは手をのばして誰かを求めようと橋をつくっている。
この探究は、他者への架け橋を
すべて壊す必要があることを意味している。
外側でしてきたことをすべて捨て、
内側で何か新しいことを始めなければならない。
あなたはあまりにも外側に固執してきたから
それは難しいだろう。
あなたは常に他人のことを考え
決して自分のことを考えない。
奇妙なことに、
誰も自分自身のことは考えず、他人のことを考えている。
ときどき自分について考えるとしたら、
それもまた他者との関係において考える。
それは決して純粋ではない。
純粋に自分のみについてではない。
そして自分のみについて考えるときは、
考えることは落とさなければならない
‥‥というのも、あなたは何を考えられるだろう?
他人についてなら、考えることは可能だ。
考えるとは、「~について」を意味する。
自分自身について何を考えられるかな?
あなたは考えることを捨て
内側を覗き込まなければならない
―――考えるのではなく
眺め、みつめ、観察し、観照するのだ。
プロセス全体が変わる。
必要なのは自分自身を探すことだ。
自分は誰かと問いなさい。
そして安っぽい答えに執着しないこと。
他人から与えられた答えは、すべて安物だ。
本当の答えは、あなたの中からしか出てこない。
それは、本物の花が木そのものからしか生まれないのと同じだ。
花を外から付け加えることはできない。
できるとしても、それは死んだ花になるだろう。
それは人々を欺けるかもしれないが、木そのものは欺けない。
木は知っている
「これは私の枝にぶらさがっている死んだ花にすぎない
負担になるだけだ。これは幸福ではない、重荷にすぎない」
木はそれを祝い、それを歓迎することができない。
木が歓迎できるのは、まさに木の根から、内なる存在から、
最も内なる核から生まれてくるものだけだ。
そして、それが最も内なる核から生まれるとき、花は木の魂となる。
そして木は花を通して、自らの踊りを、自らの歌を表現する。
木の生涯は意味あるものになる。
ちょうどそれと同じように、
答えはあなたの内側から、あなたの根から生まれる。
するとあなたはそれを踊るだろう。
そしてあなたの生涯は、意味あるものになる
OSHO
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瞑想・芸術・癒し 空間
石裂山(ozakusan)瞑想の家
https://ozakusan.com/
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