OSHOは、ヴィパサナをはじめた人々が
しばしば感じるエネルギーの高まりについて、
こう語っています



ヴィパサナでは、ときどきとても肉感的に感じることが起こりうる
というのも、あなたが非常に静かで、
エネルギーを浪費していないからだ
ふだんは多くのエネルギーを浪費し、あなたは消耗しきっている
ただ座って、何もしないとしたら
あなたは静かなエネルギーの溜め池になる
その溜め池はより大きく、さらにさらに大きくなりつづける
それは、ほとんど溢れて流れだすところまでに至る・・・・
そして、そうしたときに感覚的な感じがする
あなたは新しい感性、肉感性、性欲すらも感じる
あたかもすべての感覚が、新鮮に若返って活発になったかのようだ
あたかもあなたからほこりが落ち、あなたは水浴し、シャワーで洗い清められいるかのようだ。
そうしたことが起こる
 

 

だからこそ人々は―――
とりわけ、何世紀にもわたってヴィパサナを続けてきた仏僧たちは
たくさん食べはしない
彼らは必要としない、1回食事をとるだけだ
それもたいそう乏しい一食だ
ごくわずかの、せいぜい朝食としか呼べないほどのもの・・・・・・
しかも一日一食だ
彼らはたいして眠らない、が、エネルギーでいっぱいだ
そして彼らは逃避者たちではない
彼らはせいいっぱい働く
働いていないなどということはない
彼らは木を切り、庭で、田畑で、農場で仕事をする
まる一日中働く
だが、何かが彼らに起こっている
いまでは、エネルギーがもはや浪費されてはいないのだ
それに座る姿勢というのは、とてもとてもエネルギーを保存する
仏教徒たちの用いる蓮華座法は、体の末端すべてが出会うというものだ
足と足を重ね、手と手を重ねる
それらはエネルギーが動いて流れ出る先端だ
というのも、エネルギーが流れ出るには何か尖ったものが必要だからだ
それゆえ男性性器は尖ったものなのだ
つまり、それは多量のエネルギーを漏出しなくてはならない
ほとんどひとつのはけ口だ
エネルギーがあなたの内部に過剰になってどうすることも
できなくなると、あなたは性的にそれを放出する
性行為の中では、女性はけっしてどんなエネルギーも放出しない
だから、女性は一夜のうちに多くの人々と愛を交わせる
が、男性にはむりだ
女性は、もしやり方さえ知っていれば、
エネルギーを保存することさえできる、
エネルギーを得ることさえできる
 

エネルギーは、あなたの頭から外へ
放出されることはない
それは生来丸い形に創られている
だから、頭脳はどんなエネルギーをも決して失わない
それはエネルギーを保存する
というのも、それは最も重要な、体の中枢管理だからだ
それは保護されなくてはならない
だから丸い頭がいによって保護されている
エネルギーは、丸いものから漏出することはありえない
だからこそあらゆる惑星―――地球、太陽、月、星は、すべて丸い
そうでないとしたら、エネルギーを漏出し消滅する
あなたは座っているとき丸くなっている
手と手を触れあっている
そこで、一方の手からエネルギーを放出しても
もう一方の手の中に入る
足と足も触れあっている・・・・
その座り方は、ほとんど一つの円(サークル)になる
エネルギーはあなたの内側で働き、外へと出ては行かない
人はエネルギーを保存し、やがて一つの溜め池になる
まもなく、あなたは腹にほとんど満ち足りた状態を感じる
腹は空っぽであるかもしれない
食事はとっていないかもしれない
が、ある充実感を覚える
そのとき、肉感性の奔流が起こる
だが、それはよい徴候だ
とてもとてもよい徴候だ
だからそれを楽しむがいい

             OSHO

『オレンジ・ブック』(めるくまーる社) P109-111


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