ヴィパサナは、ほかのどんな方法よりも多くの人びとを光明に導いた瞑想法だ。
なぜなら、ヴィパサナは瞑想の本質そのものだからだ。
ほかのすべての瞑想法にも、それと同じ本質がある。
だがその形態が異なっている。
何か本質的でないものがそれに結合されている。
だがヴィパサナは純粋なる本質だ。
そこからはもはや何も落すことができないし、
何かを加えて改良することもできない。
ヴィパサナは幼い子どもにでもできるほど単純だ。
実、まだ幼い子どもの心(マインド)はがらくたに覆われていないから、
あなた方よりよほどうまくヴィパサナができる。
幼い子どもは、けがれなく無邪気だ。
ヴィパサナはあなたに適した瞑想法だと私は助言する。
ヴィパサナは三つの方法で行なうことができる。
どの方法がもっとも自分に適しているかは各自で選ぶがいい。
最初の方法は、自分の動作、身体、マインド、ハートヘの気づきだ。
歩くときは、気づきをもって歩かなければならない。
手を動かすときは気づきをもって、自分が手を動かしていることに完全に気づきながら動かさなければならない。
無意識に、機械的に手を動かすこともできる。
朝の散歩をしているとき、自分の足を意識せずに歩くこともできる。身体の動きに気づいていなさい。
食事をしているとき、食べるのに必要な動きに気づいていなさい。
シャワーを浴びるとき、身体に触れる冷たさに気づいていなさい。
水が身体の上に落ちてくる。
そしてそのすばらしい気持ち良さ……。それに気づいていなさい。
それらが無意識状態のうちに起こってはならない。
それはマインドに対しても同じことだ。
マインドというスクリーンの上をどのような思考が通過するとしても、ただ観照者でいなさい。
ハートというスクリーンの上をどのような感情が通過するとしても、
ただ観照者でいなさい――巻き込まれたり、自己同化してはいけない。
何が正しく何がまちがっているなどと評価してはいけない。
それは瞑想の一部ではない。あなたの瞑想は無選択の覚醒であるべきだ。
やがて、ひじょうに微妙な心の動きさえ見守ることができるようになる。
夜のとばりがゆっくりと世界を包みこんでゆくように、
いかにして悲しみがあなたの内側に落ち着くか、
いかにして突然ほんの些細な事柄があなたを歓喜させるかを。
ただ観照者でいなさい。
「私が悲しい」と思ってはいけない。
「私の周囲に悲しみがあり、私の周囲に歓びがある。
私はある種の感情または気分を通過している」ということに、ただ気づいていなさい。
あなたはつねにはるか彼方にいる。
丘の上の見張り番で、ほかのすべてははるか下方の谷で起こっている。
これがヴィパサナのひとつのやり方だ。
女性は男性よりも自分の身体に敏感だ。
ゆえに、私はこの方法が女性に適していると思う。
この方法は女性にとって自然に起こることだ。
女性は男性よりも自分がどのように映っているかを意識している。
自分がどのように動いているかを意識している。
自分がどのように座っているかを意識している。
女性はつねに優雅であろうとする。
それは条件付けであるばかりではない。
女性にとっては自然で生理的なことだ。
第二の方法は呼吸――呼吸に気づいていることだ。
呼吸が入ってくるにつれて腹は前に出る。
そして呼吸が出てゆくにつれて腹はふたたびもとに戻る。
そこで第二の方法は、ふくらんでは戻る腹に気づいていることだ。
ふくらんでは戻る腹に気づいているだけ……そして、腹は生命の源にきわめて近い。
嬰児はへそを通して母体と繋がっていたからだ。
へその内側には生命の源泉がある。
だから腹がふくらむとき、それは生命エネルギーにほかならない。
ひとつひとつの呼吸によって生命の泉が隆起し下降する。
それもまたむずかしいことではない。
この手法は単一のテクニックであるから、おそらく最初の方法よりやさしいだろう。
最初の方法では、身体に気づき、マインドに気づき、感情や気分に気づいていなければならない。
だからそこには三つの段階がある。
第二の方法にはひとつの段階があるだけだ。
腹が前にふくらんで、またもとに戻る。
しかも成果は同じだ。
腹に気づくことができるようになるにつれて、
マインドは次第に沈静し、
ハートも次第に沈静し、
気分の変化は消えてゆく。
そして第三の方法は、呼吸の入りロ――呼吸が鼻孔を通過するのに気づいていることだ。
腹のもうひとつの対極である鼻孔で呼吸を感じる。
呼吸が入ってくるときには、ある種の涼味を鼻孔に感じる。
そして呼吸が出てゆく……呼吸が入り、そして出てゆく……。
それもまた可能だ。
この方法は女性よりも男性の方が簡単にできる。
女性は腹の方に、より気づきが向かっている。
たいていの男性は腹まで深く呼吸することがない。
誤った運動理論が世界中に広まってしまったために、
男性は胸がふくらんで、またもとに戻るだけだ。
胸が大きく、腹がほとんど存在していないような体形は確かに美しい。
男性は胸までしか入らない呼吸を選んでしまった。
そして胸はさらに大きくなり、腹はさらに縮んでしまう。
その方が強靭に見える。
日本を除いて世界中どこでも
運動家や運動の教師たちは肺を満たす呼吸、胸を広げる呼吸、腹を押し込む呼吸に重点を置いている。
理想は胸が大きく、腹がひじょうに小さいライオンだ。
だからライオンのようになりなさい
――運動指導者と身体の専門家たちにとって、それが基本理論になってしまった。
呼吸を見つめるとき、それらがふたつのポイントになる。
腹式呼吸と腹部の上下を見つめることによって体形が崩れることを心配するなら……
男性は自分の体形の方が気になるだろう。
それならば、呼吸の入り口である鼻孔のあたりを見つめる方が簡単だ。
呼吸が入ってくるときに見守り、呼吸が出てゆくときに見守りなさい。
以上が三つの方法だ。
そして、そのなかのひとつで充分だ。
ふたつの方法を同時に行ないたい場合は、それもいい。
そのときはさらに努力が必要だ。
三つの方法をすべて同時に行ないたい場合は、それもかまわない。
そうすれば、プロセスは速くなるだろう。
だが、それはあなた次第だ。何であれ自分がやりやすいと感じることをやりなさい。
憶えておくがいい。
やさしいことが正しいことだ。
瞑想が根づいていくにつれて、マインドは沈静し、エゴは消滅する。
あなたはそこにいるが「私」という感覚はない。
そのとき扉は開かれる。
愛にあふれた期待の気持ちと、
大いなる瞬間をハートに迎える気持ちを抱いて待つがいい。
……すべての人びとの人生にとって最大の瞬間――光明――は訪れる。
光明はやって来る。
必ずやって来る。
光明は一瞬たりとも遅れたことがない。
正しく同調(チューニング)すれば、
それは突然内側で爆発してあなたを変容する。
古い人間としてのあなたは死滅し、新しい人間がやって来る。
 
            OSHO

 

   ~ New Dawn より抜粋 ~

 

 

 

 


***********************************
瞑想・芸術・癒し 空間
石裂山(ozakusan)瞑想の家
https://ozakusan.com/
***********************************