気づきの瞑想 

 

感じている者に気づく瞑想法"
ある特定の感覚を通じて鮮明に気づく、その覚醒にとどまる"

ヴィギャン・バイラヴ・タントラ 技法 63番 

 

第一ステ-ジ15分
楽な姿勢で座りましょう。
誰かを見る、又は、何か物を見ましょう。
壁、花や木、何でも構いません。
そして、あなたは、あなたの目を通して見ていることを憶えていましょう。
目はただ、あなたの窓です。
あなたは内側から目を通して見ている誰かです。
その目の、背後で見ているに誰かに注意を合わせましょう。

 

第2ステ-ジ15分
目を閉じましょう。
音楽を聴きながら、あなたの耳はただ、受信機であることを覚えていましょう。
音は、円を描いてわたし達に伝わります。  
あなたは、つねに音の中心にあります。 
あなたは、その静寂のセンターから、音を聞きます。

 

第3ステ-ジ15分
目を閉じたまま、何か物、又は表面に触れましょう。 
あなたの手を通して触れる時、その背後で触れることを感じている、内側の誰かを憶えていましょう。
それぞれの素材の違いを繊細に感じながら、この全てのあなたの感覚は、ただ扉であり、受信機であり、媒体であり感受する器官です。
あなたは、それらの背後にいます。

 

第4ステ-ジ15分
目を閉じたまま横たわり、動かずに静かにしています。

 

 

~開いているとき、ただ耳を通じて聴き、
自分の内なる中心に気づく。
触(さわ)っているとき、ただ手を通じて触(さわ)り、
背後に隠れている内なるものを想起する。
どの感覚も内なる中心へと向かう。               
感覚にだまされると、
みせかけの世界を真のものと思い込んでしまう。
もし、感覚を通じてみる事ができたら、
目覚めていられたら、
世界は少しずつまぼろしのように、夢のように見えてくる。
そして、実体が、この世界の実体が、見通せるようになる~

 

~静寂の名において人々が体験しているのは、
音が無いということだけだ。
だが、静寂とは全面的に異なった現象だ。
それは完全にポジィティブだ。
それは実在的であり、虚ろではない。
それはかつて聞いたこともないような音楽や、
あまり親しみのない香り、
内なる目によってのみ見えるような光で溢れている。
静寂とは架空のものではない。
それは実在だ。
しかも、あらゆる人の内側にすでに現存する実在なのだ。
だが、私たちはけっして内側をみようともしない。
内なる世界には、それ自体の味わいがあり、
それ自体の香りがあり、それ自体の光がある。
それはまったく静かであり、
計り知れぬほど静かであり、永遠に静かだ。
そこにはかつていかなる音もなく、これ以降もないだろう。
いかなる言葉もそこまでは届かない。
しかし、あなたは辿り着ける。
   OSHO

 


 

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