NTTの担当者との話を私なりにまとめておきます。


この地域(石裂・寄栗)にケーブルテレビが敷いていない事が話題になったとき、NTTの担当者はそのことを始めて知ったような様子でした。はて!?
難視聴対策のICT交付金を国が地方自治体に出しているが、 昨年度鹿沼市は手を上げていない、とNTT担当者はいう。
※ICT→インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジー


たしか3,4年前、ケーブルテレビ網を、ここまで引いて欲しいという要望書に署名した記憶があります。
ここは採算が取れないので引けないという返事だった、ようなことがあったことを思い出し、伝えました。
 そのとき国からの交付金を鹿沼市はもらい、敷設したが、ここは対象から外れたのだろうが、どうしてこの区域が外れたのか、とNTTの担当者は怪訝な様子を示しました。
この交付金を1回受けると、その後は受けられないというようなことをおっしゃいました。


鹿沼市とケーブルテレビ会社に、敷設が除外されたことを問い直すうのは、するこのひとつかもしれないと思いました。

(この交付金を巡って、ケーブルテレビ会社とNTT は競合関係なのか、交付金を受けたケーブルテレビ会社が敷設を担うべき、ということなのか。そういえば署名なさってくれた方のなかに、粟野はそうとう山の中でも敷設されているのに石裂寄栗がどうして敷設されなかったのか訳がわからないとご意見を伺ったことがありました。)


NTTは現状では光ケーブルをここまで伸ばすことはできない、回答でしたが、 
いま光ケーブルは昔ガラス素材だったのですが現在は別の素材(プラスティック?)で安価になった。今後新たな技術が開発され、コスト減が大幅にはかれる、となったときに、この地域に敷設できるかもしれない、と言われました。 


(過疎地を含む全所帯に高速の通信網を2015年までに敷く政府の方針とそれを担うとされているNTTをすっかり信じて、要望書の提出で敷設が少しでも早まるのではないかという目論見は、微塵に砕かれました。また政府やNTTへの信頼も根底から揺らぐのを覚えました。)


この地域の実情を話しました。
この地の自然に魅かれ、都会から移り住んでみたいとおっしゃる方もいる。だが仕事がない、都会でできる仕事がこの山里でもできるとすればIT関係の仕事だが、現状の通信環境ではあきらめざるを得ない。
 過疎地でお年寄りだけの世帯が多い。お年寄りはパソコンも携帯電話も使わない。だから光ケーブルの敷設の要望があるとは思えない。けれどもお子さんお孫さんは携帯もパソコンも使えないこの地には落ち着けない、長居できない、将来この地の戻ってくるということは期待できないのではないか、そう考えると、光ケーブルの敷設が必要だと思うようです。
 
NTTの方は、電気や水とおなじ、高速通信はこれからのライフラインと信じて仕事をしていると思う。
過疎地にライフラインがないとしたら、そこは人が住む環境にないということにならなりませんか?見捨てる、切り捨てるということではなりませんか?この回答、措置は過疎化にいっそう拍車をかけます。


 現下自殺が多い、街はストレスの多い生活です。
こういう自然が残っている場所を訪れて、街の人々はストレス軽減解消しバランスをとって生きています。いまは過疎地だが人がいなくなれば荒廃していきます。
人がいて整備していれば、街の人が気軽に来ることができます。ここに住んでいる人にとっても、街の人にとっても、この自然環境の保存と生活環境の維持向上が必要と思います。
 人の命があってこその社会、社会あってこその企業。

人の命を守るのが社会、企業は社会の一部です。
健全で豊かな社会がだれも望んでいます。
採算のみ利益のみ追求する企業は社会に歓迎されません。利益をこうした社会の実現への貢献にも振り向けることが必要なのではないでしょうか、ライフラインとして光ケーブルを敷くのはまさに社会貢献ではないですか、と伝えました。


1時間ほど話し合いでしたが、お茶にもさして手をつけず去っていかれました。