母の一周忌【父のこと・母のこと・戦争のこと】 | 尾崎りいちオフィシャルブログ「東へ 西へ」Powered by Ameba

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 連休は、母の一周忌で和歌山に帰ってきました。


 年の離れた父方の従兄がいるだけですから、「帰る」という感覚はありません。

 父は大正4年生まれ。敗戦を中国で迎え、なぜか、その後蒋介石の軍隊で大佐をしていたと父からは聞きました。敗戦を迎えた地の軍閥が、毛沢東派なのか蒋介石派なのかで、こういうことはめづらしいことではなかったようです。

 蒋介石も負けるわけで、戦後12年間抑留されて、日本に帰国したのが40歳。青春真っ盛りを戦争で失ったことになります。

 地主の家だったようですが、帰国してみたら、農地解放でわずか残った田畑は、次男と四男で耕作をしていて(長男は早くに亡くなっていました)、父は新宮市の母の元に養子縁組ということになりました。その後、私が2歳の時に、母の父とけんかして東京に出てきたのです。

 父は64歳で、ガンで亡くなりました。私が大学3年の時です。父とは、反抗期に対立して以来、あまり立ち入った話などすることなく父の死を迎えることになりました。


 父は、「(戦争が終わって)もう余生のようなものだ」といいながらも、「いざ鎌倉というときには、駆けつける」といっていました。母と結婚してからも、戦争の夢を見てうなされ、大声をあげたりしていたようです。

 母は「戦争で負けた時、天皇には死んでもらいたかった」といいました。普段は穏やかな母の言葉に、父はただ驚いていました。


 母の一周忌なのに、父のことばかりになってしまいました。

 

 1周忌には、配偶者と娘と3人、妹の家族7人、従兄2人が参列しました。


 帰りに、白浜と京都に立ち寄りました。

 京都では、三千院と銀閣寺に行きました。












 
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